新宿〜大塚・巣鴨

「自分に取って地獄とは?」と聞かれたら間違いなく大塚〜巣鴨時代と答えるだろう。
新宿での生活に一旦終止符を打ち豊島区大塚に引っ越した、親父の仕事上しょうがなかった、新しい土地、そして新しい小学校、ここで面倒くさいのがまた一から人間関係を築かなきゃいけないと言う事だった。
今はまともだが当時の俺は人見知りを極めていた、保育園時代は奇跡的に友達が数人居たがまた一からとなるとキツいものがあった、そんな考えを持ちながら俺は見知らぬ小学校へ入学した。
最初はもちろん順調な出だしを期待していたがそうは問屋が卸さない、周りの奴らは幼稚園〜保育園が一緒の奴ら、俺みたいな外様の人間はすぐに餌食になった。
水道で水を飲んでたら急に押し付けて来たり、病原菌扱いしたり、声を掛けても無視をされ、挙句の果てには気に入らないからと言う理由で急に殴られたりもした。
これが小1〜4まで続いた、俺だって反撃をしなかったわけじゃないし担任の先生に言わなかったわけでもない、小1.2の時担任はおばさん先生だった、はっきり物事を言い、竹を割った性格で当時の保護者からは信頼されていた、俺は「クラスでイジメられている」と伝えるとおばさん先生は「イジメられるアンタが悪い」と一刀両断された俺はびっくりした、まさか大人に助けを求めてこんな言い方されるなんて思っても見なかった、俺の考えだが正直おばさん先生はイジメがあるクラスを公表するのが嫌だったのだろう、保護者から信頼されてるのにイジメが発覚したら積み上げて来たものが崩れるしもしかしたら自分の評価に影響する可能性もある。
そう考えたら見て見ぬ振りをするのが一番良いと判断したのだろう「イジメられてます」と言った張本人はクラスのカースト最下層の生徒だから見て見ぬ振りしても大した影響は無い、自分が担任を外れるまで黙ってイジメられていたら大丈夫と頭をフル回転させて出た答えだったのだろう。
結局俺は小1.2はイジメられ続けた、そして3年になる時おばさん先生は担任を外れ若い女の先生になった、しかしその女の先生はどこか抜けて全く頼りにならなかった、正直この先生の時の記憶はあまり無い、なんならこの先生は1年で担任を外れた、産休に入った為だった。
早々と小4の時になりイジメにも磨きが掛かる既存のイジメありきでさらに新しいイジメが追加される。
校庭で一輪車に乗っていると車輪に竹馬をぶっ刺され転倒させられたり、給食にゴミが入ってたりもした、そしてイジメは唐突に終焉を迎える。
いつも通りに朝登校したら目に輪ゴムが飛んで来た、幸い瞼で良かったがその瞬間自分の中で全て吹っ切れた、気付いた時には担任の先生に止められていた、そして緊急クラス会が開かれ俺のイジメが明るみになった。
当日の担任の先生は30代前半の女の先生だった、その先生には家庭があり子供も居た、その分熱が入ったんだろう、そしてイジメに気付かなかった自分自身にも腹が立って居たのだろう、大人のキレ方でイジメ居た奴らを詰めていた、そして4年間のイジメに終止符が打たれたかと思った。
その日の放課後イジメから解放された俺はサウンドオブミュージックさながらのルンルン気分で帰ろうとしたらイジメの主犯格クラスのカースト上位の奴に捕まった、そいつの言い分は「たまたま勝ったくらいで調子に乗るな」と言う事だった。
1回喧嘩しちゃえば後は同じだ、俺は今までイジメられていた奴を秒で泣かしていた、そして俺へのイジメは完全に終止符を打った。
次の日登校したらクラスの奴らがバンバン声を掛けて来た、今まで無視してた奴らがだ、内容は「お前、あいつに勝ったんだな!すげぇよ!」「実はお前って強いんじゃないかと思ってた」「ユウキ君って強くてかっこいいよね」だった。
子供ながら凄く気持ち悪かった、今までイジメた奴らが次の日には気安く話掛けてくる。
一夜にしてカースト最下層から最上位に登り詰めた俺を見て自分がイジメられない為に早くも媚びを売って来た、男女関係無く俺にやたら話掛けて来た、本当に気持ち悪い瞬間だった。
その出来事がきっかけで一時期本当に友達を作るのが嫌になった。
時期は小5になる時家庭を揺るがす事件が起きる。

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