練馬〜新宿

「出身は?」と聞かれると大体の人は出身都道府県を答えるはず

自分は「新宿区ですね」と必ず言う、別に都会っ子アピールをしたいわけでも地方民にマウントを取るつもりでも無い、聞かれたらそう言うふうに昔からしているだけだ

そもそも自分は厳密には練馬区産まれで3〜5歳までは新宿区で6〜11歳までは豊島区で12歳〜現在(30歳)は新宿区在住である。

初対面の人に厳密に話す程自分の事を知って欲しいわけでもないから住んでる期間が長い新宿区を選んで「新宿区出身」と言っている。

自分が産まれたのは1990年7月5日午後1時くらいだったと母親から聞いている。

体重は2500g以下でギリ未熟児だったらしいが1ヶ月後の検診で体重3800gあったらしく医者が驚いたらしい、まともに喋り出したのも3歳で初めて喋った言葉は「ねぇねぇみっちゃんお茶ちょうだい」だったらしい、みっちゃんとは母親のあだ名だ、我ながらイカレたガキだと思う。

当時自分が住んでいた練馬区光が丘は夜になると「ゔわぁー!!!!!」と奇声を挙げて徘徊するヤバいおじさんが居た、当時2歳の自分でもはっきり覚えてる事がある。

奇声を挙げて徘徊してるおじさんがたまたまうちの前に来た時に親父が窓を開けて「オラァ!!うるせぇぞ!!ぶっ飛ばされてぇのか!!」と怒号を挙げていた事を覚えてる。
親父は元ボクサーでめちゃくちゃ気が強かった、元ボクサーと言ってもプロになる前に辞めてしまった。
理由は「こいつなら余裕で勝てるわ」と思ってた相手に負けたからだそう。
そんな親父だったがめちゃくちゃ浮気をしていた、俺が母親の腹に居た頃にバチクソに浮気をぶっかましていた、何故浮気がバレたかと言うと夜中に電話が掛かって来て母親が電話に出たら親父からで「悪い、仕事終わりに知り合いに会ってコーヒー飲みながら昔話してるから帰るの朝になるわ」と言われたらしい、しかし母親はそこで「浮気してんな、こいつ」とわかる、親父はコーヒーなんか飲めないから、何故普通に「懐かしい知り合いにあって朝まで居酒屋にいるから帰るの朝になるわ」と言えなかったのか今でも疑問に思う。

話を自分の話に戻そう、練馬区での生活を終えて新宿区に戻った頃新しい保育園に入った、そこでいまだに週1で会う友人が出来る。
ある日砂場で遊ぶ時に使うカッコイイ車で遊んでいたら横取りされて怒り狂い喧嘩したのを覚えてる。
それが初めての喧嘩だったかも知れない、母親は友達の母に頭を下げていたが帰り道で「喧嘩に勝ったなら私は怒らないよ」と言われた、この親にしてこの子ありだ…
基本的に嫌なものがない子供だったが運動会だけは嫌いだった、別に身体を動かすのが嫌だとか足が遅いからとかではない、毎年恒例の親子騎馬戦が嫌だった、前述通り親父はめちゃくちゃ気が強い、そして勝利へのこだわりが異常な程ある。
元ボクサーの親父はボクシングで培った素早い動きを駆使して騎馬戦に参加している親子を翻弄していた、しかし俺も翻弄される。
親父に肩車されてる子供の俺に元ボクサーの大人の動きは読めるわけがなく文字通り振り回された、何とか食らい付いていくので精一杯だったが無情にも親父は「ユウキィ!!早よ相手の帽子取れぇ!!」と亀田の親父さながらの指示を出してくる。
そして毎年決まって俺ら親子と友人N君の親子が最後まで残る。
またややこしいのがN君の親父さんもめちゃくちゃ気が強くN君も気が強い、俺からしたら「勘弁してくれよ…」と思っていたが親父からしたら最高の相手でしかない
我々親子とN君親子の一騎打ちになった瞬間会場はさながらRIZINかと思うくらいヒートアップする。
初年度は俺が勝った、そして親父はガチで喜んでいた、子供の俺より喜んでいた、負けたN君は親父さんにめちゃくちゃ怒られていた、いまだに何故怒られていたが理解に苦しむ、しかし勝った俺には反省会が待っていた、来年に向けて傾向と対策が為されるのだ、そして2年目はN君家と一騎打ちになり見事に負けた、ここからが俺が運動会が嫌いになった決定的な理由がある。
負けが確定した瞬間、親父が烈火の如くブチギレて帰宅後来年へ向けた厳しいトレーニングが始まる、4歳の子供に負荷を掛けるようなトレーニングをする親が居たら今なら確実に虐待で児相が来るだろう。
こんな形で俺は運動会を嫌いになった、しかし良い一面もある。
運動会の翌日からクラスでは軽く人気者になるがそれでは割りに合わない、こちとら週末に負荷を掛けたトレーニングをやらされているのだ、エロい姉ちゃんがパフパフしてくれなきゃ割りに合わない限りだ
そんなこんなで俺はラストイヤーの運動会を迎える、M-1戦士さながら緊張していた、何故ならラストイヤーで負けたら謎に1年負荷を掛けたトレーニングをしなきゃならないからだ、去年までは「来年の親子騎馬戦に向けて」と言う明確な目標があったからだ
しかし来年は保育園でやる親子騎馬戦は無い、小学校であると言う話は聞いていない、即ち謎に1年トレーニングをする事になる。
それだけは避けたいと言う一心で俺は親子騎馬戦に挑みあっさり優勝した、びっくりする事に親父の動きについていけたのだ、なんとか1年負荷を掛けたトレーニングは避けた、運動会終わり親父は俺に「お前、今日のかけっこ最下位だったから明日からトレーニングな」
俺はいつになったらトレーニングの柵から解放されるのだろうか…

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