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知らない状態に戻すボタン
『僕、映画の「トトロ」見たことないねん。』
『トトロ見たことがないことが自慢?なんなんそれ。』
『みんな、一回はトトロって見てんねん。』
『そりゃそうですよ、ねぇ。』
『でもオレはレンタルしたことも無いし、何回も繰り返されてる再放送の網も全部すり抜けて、生まれてから37年間、一回も見てない。』
『そんなん自慢にならへんねん。もっと手品が上手いとかそういうの言うねん。』
『それは今からでも追いつけるやん。でも、「トトロ」見たことないは、今からじゃどうにもならへんねん。分かる?』
年末恒例のお笑い番組が終盤に差し掛かり、最近人気のコンビが観客を沸かせてる。圭也も鍋をつつきながらケラケラと笑った。思わず、口から白菜が出そうになるのを堪える。
「確かにそうだよね、トトロ見れなかった状態には戻れないって。」
圭也にティッシュを手渡しながら、真衣はポツリと言った。圭也は「ほんまやな。」と返しただけで、テレビから目をそらさない。こたつの布団をかけ直して、真衣もまたテレビを眺めた。
『お客さんの中で、人生で一回もトトロ見たことがないという人、正直に手を挙げてください。正直に!』
漫才師たちは言い合いを続けた後、観客に問いかけた。パラパラと思ったより手を挙げた客席を見て、男は『めっちゃおるやん』と相方を突っ込む。バツが悪そうにした相方は、『僕ね、火垂るの墓も見たことないんですよ。』と悔しまぎれに言い返し、漫才は終了した。続けて出囃子が鳴り、次のコンビが登場する。
「もし知らない状態に戻れるってなったら、何にする?」
「なんやそれ。」
煮え切った鍋をかき混ぜながら、圭也は麺を自分の器に入れる。真衣は圭也の答えを待つようにスマホを何ともなしに触った。
「やっぱり、タイタニックかな。ちゃんと初見で見たいわ。」
「なるほど、名作だもんね。」
「ああいうのって最初が一番感動するやん。俺、お姉と最初見て、意味分からずに結末まで知ってしまったから。勿体なかったわ。」
麺をすすりながら答えた圭也は、見慣れないスマホケースに気が付き、「ケース変えた?」と真衣に聞いた。思わずスマホをこたつに隠す。
「ちょっと前にね。……でも。あれって、結末知ってるからこその切なさもあるじゃん。」
「そんなん、知らん状態から1回目見て、その後2回目見ればええねん。…まぁ、続けて2回見るようなカロリーの映画ちゃうけどな。」
真衣も思わず吹き出して「確かに。」と頷いた。麺が水気を吸い始めた鍋を見て、火を止める。
「もしくは、あれやな。善次のラーメンを知らん状態でもう一回食べたいな。」
「確かに、先輩に教えてもらったときの感動やばかったよね。」
「部活やってた時はまじで週3ぐらいで食べてもんな。…何やりたいん?」
圭也の視線を受けて、真衣はスマホを置いて考え始めた。テレビからはひな段に座った芸人たちの話し声が流れてくる。日もすっかり落ちて年の瀬の風が窓を揺らした。
「私、皆を知る前の状態に戻りたいかも。」
「入学したてってこと?そんなんアリ?」
圭也はごろっと寝っ転がり、不思議そうに真衣を見た。真衣はこたつ布団を胸まで引っ張り上げると、不敵に笑う。
「アリでしょ。それでもう一回、新入部員の自己紹介をやり直す。今度は素敵なお姉さまキャラでいく。」
「何やそれ。」
「プロフィールにはちゃんと『好きな食べ物はいちごです』って書く。」
「嘘つくなや。」
「だって、あだ名になるって分かってたら、カルビなんて書かなかったし。普通に考えて、花の女子大生がカルビちゃんって呼ばれるのやばいでしょ?」
「カルビは以外と浸透してるよな。俺は逆にあだ名で呼ばれたことないわ。」
「圭也は圭也だもんね。人徳の差‥?」
「いやいや。でももし、カルビがいちごって書くような奴やったら、俺ら仲良くなってないで。」
圭也は苦笑してテレビに体を向けた。真衣はこたつからはみ出た背中を軽く睨みつける。
「何でよ。まろんも。…みかんとだって仲良くなってるじゃん。」
「いちごはあざとさがあるな。普通に厳しいわ。」
思わず、こたつの中で圭也の脚に蹴りを入れた。圭也はビクッと体を縮めた後、仕返しとばかりに後ろ足で真衣の膝を蹴る。「ちょっと。」声を上げた真衣に何度か攻撃を繰り返す。真衣は圭也の足を捕まえると、こたつ布団から引っ張り上げた。
「寒い痛い、ストップ!」
真衣は、くの字に体を反らせた姿にひとしきり笑うと足を放した。ひっくり返りそうになった皿を押さえて、圭也は「小学生かよ。」と呆れながら立ち上がる。食べ終えた皿を片付けながら、圭也は首を傾げた。
「今日って、誰か来てたっけ?」
「私が来た時にはいなかったけど。まろんとか?」
「そうやっけ、牧か。あのラボオタク、食べるだけ食べて帰ってるわ。皿ぐらい片付けろよなぁ。」
皿とコップを3つずつ重ねると鍋に入れ、圭也は廊下にある台所へ持って行った。シンクに水が打ち付ける音を聞きながら、真衣はスマホを触る。
「てか、何で今日2人で鍋してるんやっけ…?」
廊下から聞こえてくる声に、真衣はスマホを握り締めた。
「他の2人は予定合わなかったけど、授業も部活も無くなって暇だし。何んか問題あるんだっけ…?」
雑に皿を洗う音が1Kの小さな空間に響きわたる。
「別に、問題はないよ。」
部屋に戻って来た圭也と入れ替わりに、真衣はこたつから出てコートを羽織った。テレビでは、エンディングで大御所芸人たちが今年の思い出を語っていた。
「もう終わりか、4時間番組やけどこれは一瞬やな。」
間を埋めるように、圭也はぬるくなったビールを飲んだ。
「そろそろ帰る。片付けもありがとね。」
廊下に出ると、その気温差に思わず足をすくませた。追って来た圭也も寒そうに両手をこすりながら玄関に立つ。
「いやいや。こっちこそありがとう。気を付けて帰りや。」
「うん。次は、卒業式だね。4人で写真でも撮ろ。」
手を振りながら言われた言葉に、圭也は思わず小ぶりに頷いた。真衣はそれを見て笑いながら「良いお年を。」と扉を閉める。外の風が吹き込んで玄関は一層寒くなったが、圭也はしばらくそこを動けずにいた。
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「お帰り。」
公園のベンチで風に耐えていた男は、真衣に手を振った。
「どう、上手くいった?」
「まぁ。」
「ちゃんと効いていたでしょ。」
真衣はベンチに座るとスマホを取り出した。白い息を吹きかけて、コートの袖口で画面を拭いた。電源を入れると、小さな文字とボタンが浮かび上がる。
「知らない状態に戻すボタンがあったらいいなって思ってたけど。」
「どうだった?」
「…これ、私の記憶も消すってできないの?そしたら全部すっきりするのに。」
「残念ながら、相手の記憶を消すことしかできない。しかも単独のもので、数十分の出来事だけ。…効果も不安定だから、数分の可能性もある。」
男は首を傾げて真衣の様子を伺う。下唇を噛んだ真衣はさらに俯いた。公園には風が吹き抜け、電灯の光を揺らす。
「カルビが言ったんだよ。知らない状態に戻すボタンがあったらって。これかなりの大発明だと思うんだけど。…この俺が研究そっちのけで作ったんだから。」
「……だって。だって、モヤモヤするんだもん!これじゃ、私ばっかりが負けて、向こうは何も失ってないじゃん。ずる過ぎる!圭也だって。」
堰を切ったように真衣は一気に不満をぶちまけた。その勢いで言ってしまった最後の言葉に、慌てて自らの口を塞ぐ。
「…えっと。」
「…圭也だったの?それ使ったの。」
牧は思わず真衣から視線を逸らした。息を吐くと白い煙が立ち昇る。
「深刻そうだったから、お母さんと仲直りするためかなって思ってた。俺の勝手な思い込みだけど。」
「…ごめん。」
「それで。それを使って、ちゃんと話せたの?」
「まぁ。これが無かったら言えなかったから。良かったかな。…卒業式に4人で写真も撮れそうだから、撮ろうね。」
「それでいいの?」
牧は座り込む真衣の前に回り込んだ。しゃがみ込んで目線を合わせようとする牧から逃げるように真衣は空を見上げた。雨とも雪とも言えない液体が瞼を濡らす。
牧は大きく息を吸うと、穏やかに続けた。
「良いこと教えてあげようか。これは知らない状態に戻すボタンでもあり、知ってる状態でやり直すボタンでもある。」
「どういうこと?」
「よく考えて。…今度は負け戦にならないようにさ。」
真衣はその言葉を咀嚼するように反芻した。牧はスマホを取り出すと、どこかに電話をかけた。電話口の相手といくつか言葉を交わすと、そのまま真衣に出るように促す。
「もしもし‥?」
『カルビ?どしたの?』
『なんか話があるって、牧が言ってたけど。』
圭也の声が聞こえて、真衣は肩を揺らした。思わず立ち上がって、牧から距離を取る。
「いや、別に。それは…。」
焦りながらも数時間前の出来事がフラッシュバックした。
乱雑に切った具材をつつきながらお酒を飲んで、他愛もない話をする。圭也が楽しみにしていたお笑い番組が始まって、真衣は慌ててこたつの布団を握り締めて切り出した。
(ずっと言えなかったことがあるんだけど、聞いてくれない?)
「ずっと言えなかったことがあるんだけど、聞いてくれない?」
お腹に力を入れる。1度目よりかは落ち着いた声で、真衣はもう一度声に出した。
(私、圭也のことがね。ずっと好きだったの。)
「私、圭也のことがね。ずっと好きだったの。」
覚えのある沈黙が落ちた。きっと今頃、ただ瞬きを繰り返す瞳と、何かを言葉にしようとして何も出てこないでいる唇があるに違いない。
(その、あれなんだけど。俺さ。)
「…俺さ。」
「知ってるから。」
圭也の言葉を遮るように声を絞り出した。牧の言った意味がようやく解って、思わず振り振り返る。電灯から少し離れた暗がりに牧野の背がうっすらと見えた。気を利かせて離れてくれたようだ。
「…え?」
「みかんに告白して、付き合ったんでしょ。先週。」
「…誰かに聞いたの?」
「まぁね。」
数時間前のあなたからとは言えずに苦笑いを浮かべる。
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この世で最も気まずい顔でその事実を突きつけられた瞬間、入部してからの思い出が脳を駆け巡った。そのどれもにみかんに微笑む圭也がいたような気がして、震えた。同時に顔から火が出そうなぐらいの羞恥心に襲われる。
自分が一番仲が良いいなんて、なんておこがましい思い込みをしていたのか。どうして気が付かなかった。都合の良い解釈ばかりをして。
その瞬間、真衣は部屋を飛び出した。驚く圭也を振り切って、玄関を出て扉を閉めた。廊下に座り込んで、どれぐらいそうしていただろう。
落ち着いた真衣は、恐る恐るポケットからスマホを取り出し、アプリを立ち上げる。シンプルな文字で『知らない状態に戻すボタン』と書かれた画面が立ち上がった。
(相手の反応が怖くて言えないんだったら、これ作ったから。お守り代わりに持っていきなよ。)
面白いものをいつも発明してくる友人がくれたそのアプリに、真衣は『真衣が好きだと言ったことを忘れる。』と打ち込んだ。
扉の向こう側で圭也が立っている気配はあるが、玄関から出てくる様子はない。きっとどう声をかけるべきなのか途方に暮れているのだろう。人当たりが良さそうで、意外と不器用なのだ。真衣が好きになった人は。
意を決した真衣は無言で玄関を開けた。案の定、立ち尽くしている圭也にスマホを向け、ボタンを押す。
ヴヴヴと嫌なバイブ音がした後、圭也はバランスを崩して倒れかけた。
「あれ?」
慌てて支えた真衣に、圭也は怪訝そうに辺りを見回す。頭痛を払うように何度か頭を振った。
「カルビ、来たのか。…あれ?」
「‥うん。お邪魔します。」
「入って入って。先、鍋食べちゃってたわ。」
真衣は、寒い廊下を小走りに歩くと、漫才が漏れ聞こえる部屋に入っていった。
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「…勘違いしないでね。これ過去形だから。」
責めるように強く言った真衣に、電話口から少し間の抜けた声が返って来る。
「え?」
「もうそうじゃないし、付き合ってほしい訳でもない。…言いたかっただけ。」
「うん。」
「知っててほしかっただけ。」
「うん。」
「自己満だから、それだけ。…じゃ、また卒業式でね。おやすみ。」
「‥‥おやすみ。」
オウム返しで返って来た声に苦笑しながら、真衣は電話を切った。完全に雪になった空の下、息を吐くと白い煙が立ち昇る。
「終わった?」
端の方から遠慮がちに牧が声をかけた。
「終わった。…これ、素晴らしい発明だよ。ほんとにありがとう。」
「現金だな。言っとくけど、もう使えないからね。1回の容量しかないから。」
「え、そうなの?」
とぼとぼと公園を出て行く牧の後ろを真衣は追いかけた。その気配を感じながら、牧は遠慮がちに振り返った。
「…寒いから、焼き肉でも行く?」
「行く!今夜は飲み明かしたい気分!」
すっきりとした真衣に牧は苦笑して、歩き出した。
「俺も飲み明かしたい気分。」
その言葉は、風に流されて真衣には届かなかった。
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