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書き直し。恋は雨上がりのように。

先日、恋は雨上がりのようにの映画版を見ての感想を書いたが、スマホで適当に書いていたので、原作とアニメと映画もひっくるめてもう一回書こうと思う。ネタバレを含みますのでご注意を。

過去記事:原作の感想  過去記事:映画の感想

どんなお話なのか?

原作のラストは私としては最高の着地点と考えるのだが、ファンの間で炎上したらしいので解釈が分かれる作品かもしれない。以下はあくまでも私の解釈ではという視点。主人公は誰か?単行本の表紙も全巻が女子高生の橘さんなので分かりやすい主人公は橘さんで、影の主人公が店長だろう。どちらか一方では成り立たない主役が二人の物語。学生時代から夢を追い現在もその夢が捨てきれぬまま夢破れた中年男性になぜか惹かれる夢を諦めた女子高生。女子高生がたまたま雨宿りのために入ったファミレスの店長と出会い、彼女はそのファミレスでバイトを始めることになる。店長はアルバイトの橘さんとその女子高生が同一人物だとは気づいていなかった。

17歳である意味

主人公の橘さんは17歳の女子高生。店長は45歳。その二人の恋愛模様のお話と考えるとちょっと違う。キーワードは「夢」だろうか。店長はもう小説家の夢を諦めた。それでもまだ捨てきれない己を恥じながらもなにかしら執筆を続ける日々。45歳くらいだと自分の限界を知りもはや自分には無限の可能性なんてないことを痛感する年齢だろう。ああ、あの頃に戻れたならば・・・。と、一方、橘さんは店長の思う「あの頃」の真っただ中にいる。店長も最初は知らなかったが、橘さんは足のケガが原因で陸上を辞めたばかりだった。本人も走ることが大好きで地区の記録保持者でもある。店長から見ればその夢を失ってほしくない。17歳。大人でもなく子供でもなく。橘さんのクールな外見が大人っぽく見えるのに、ところどころに幼さが見える。夢が夢であることに気づいてしまった45歳の大人には眩しい。そして放っておけないのだが、自分が何かすることには罪悪感がある。これが、17歳じゃなくて30歳とかなら普通の話になってしまう。17歳。絶妙なラインだ。

雨宿りとは

言い方は悪いが、うじうじした状態を雨としよう。店長は夢を諦めて惰性で執筆する日々をうじうじした気持ちでいたのだろうと思う。橘さんも足のケガで夢を諦めなければならなくなり気持ちがうじうじしていたんじゃないだろうか。そこでたまたま立ち寄ったファミレスで店長が見せてくれた些細な気遣いに光を感じた。それまでが暗い冷たい雨だとすればその時から明るい少し暖かい雨に変わった。その光にすがりつきたい。それは恋愛感情ではないのだと思うが、そのように勘違いしてしまうのも分かる話だし、相手を間違えなければ今後の人生の大きな財産になるだろう。店長がゲスなおやじでなくて本当に良かった。店長は店長でおそらくしばらくしたことがなかったであろう文学の話をしたりしているうちに消えかけた何かを思い出した。店長も冷たく暗い雨から解放されてきた。お互いにお互いが太陽のような存在となる。店長がゲスなおやじでなくて本当に良かった。

それぞれの道へ

おそらく、雨宿りに限らず何かの時に、偶然居合わせた見知らぬ誰かと一時的に意気投合して楽しい時間を過ごしたり、一生を変えるような経験をしたりした経験は誰しもあるのではないだろうか?今となってはあの時のあの人は顔も名前も全然分からない。たまたま、偶然、その場所に同時にいた。用事が済めばそれぞれが自分の道を歩き出す。きっと二度と会うことはない。この物語では雨の中にいた二人はそれぞれが太陽を見つけて雨宿りを終了してそれぞれの日常に帰っていった。それぞれが見つけた太陽は橘さんは店長、店長は橘さん。その太陽が照らすもの(陸上や小説)が雨上がりの日差しの中に現れる。「あの時、あなたがくれたもの」その温かい思いが胸に残る。

え?関係が続くの?

大変申し訳ないのだが、映画版のラストだけは異議がある。無論、原作のラストが結ばれることなくそれぞれの日常に戻ったのが不評で炎上したらしいので、その辺を修正しての映画版なのかも知れないが、原作のラスト支持派としてはもやもやする。一時の雨宿りを終え、それぞれが明るい気持ちでそれぞれの人生を歩く。かけがえのない相手ではあるがもう一生会うことはない。その辺が心打たれるところだったのだが、え?関係続くの?え?


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