当時のメンタルを振り返る。
一言で言うと『超病んでいた』
とても恥ずかしいけど『超病んでいた』
2020年の富士ヒルはコロナ真っ只中で見送り。
2021年の富士ヒルは3月に喘息が出て肋骨骨折and仕事を始めたためエントリー見送り。
2022年の富士ヒルは喘息もでず、順調に練習を重ねられていたためエントリー。
3月末にブロンズリベンジ達成を確信したその日に車に跳ね飛ばされて出走ならず。
と、まあ富士ヒルに縁のない3年間を送った。
2022年は本当に辛かった。
退院して暫くして、やっと不自由なく暮らせ始めたなと思った矢先に
旦那の単身赴任が決まり、土日の練習はほぼできない事が確定。
旦那帰宅後のちょっとしたライドも無理になった。
しかもこの頃は朝は通院だったので、通勤トレもできていなかった。
そして通勤トレができる日々になっても、
2022年の富士ヒルに向けてやっていたトレーニングより走れてない事、寧ろ今までで1番距離を走れていない事にかなり焦っていた。
花粉症の薬を服用する時期までは、酒浸りのヤバいやつだった。
人とたくさん比べた。
土日になると、みんな走ってて羨ましい!ってたくさん思った。
人と比べるのは良くないと分かっていても割り切りたくても割り切れない自分がいた。
だけど、これ以上無理したらわたしは壊れるし子供に迷惑をかけてしまうし、心の余裕をなくて子供達を傷つけてしまうかもしれない。
というキャパラインを理解していたので、いくら病んでいてもラインは超えないように気をつけた。
ていうかわたしのキャパが狭すぎやしないか💦
そして富士ヒルが近づくにつれ、プレッシャーで夜は毎晩泣いてた。
今思えば正気の沙汰じゃない。
こんな状態になっても自転車辞めたいなんて1ミリも思わなかった。
自転車と家庭をうまく両立していきたいという気持ちが強かった。
自転車の事しか考えてないなってよく言われてた笑
ぶっちゃけると12月頃から本気で朝の通勤が寒すぎた。
雨が降ったらホッとする時もあった。
毎朝支度が遅い子供達をせっつきながら自分の出社の準備に家事。
朝はピリピリしまくっていた。
振り返るとこれも子供達にまじで良くない。
時間通りに走り出せないと、すっごくストレスだった。
12月末頃からはルートの1番上まで行くと気温は余裕のマイナスだった。
体は暖かいけど、つま先は感覚がもう無かった。
こんなの毎日続けるの辛い。でもこれをサボると他に練習する時間が無い!と奮い立たせながら頑張った。
今同じことをやれと言われたらできるか分からん🥹
冬はもう少し暖かい時間に走るか、室内で走るのが正解だと思う笑
そんなこんなで病みすぎていた。
もうこんなメンタルで生活したくない笑
当時のこの練習量でこのタイムを出せた事で
少し気持ちが吹っ切れた事もあったからこれからの自転車ライフでこんなに病むことはないだろうと信じたい。
そもそも大好きな自転車で、趣味で病むとか本末転倒だ。
自己肯定力が馬鹿みたいに低いのも直したい。
メンタル面のトレーニングが1番必要なのでは🤔🤔🤔
と、こんな感じのわたしをみて
勇気を持って欲しいと思い、恥を承知で当時のメンタルの投稿してみた。
根性無し、メンタル激弱、キャパ狭い
これでもめげずに頑張れば何とかなる😆✊(なった?ならせた?)
オチが弱い笑
それではまた次回🙋♂️