沼から生まれたきみへ


はじめに

酔い腐ったままPCを立ち上げ、机に向かっています。
最終日のスナックはまゆうにて、好きな歌人さんとお話しして、自分の好きを真実味をもって伝えるにはどうすればいいだろうと考えていました。

その場でも、そもそも好きという感情を表現する功罪も議論のテーマになっていましたね。結局ぼく自身も論理的に、行為として正当化することはできなくて、突き詰めればぼくがそうしたいからそうする、というエゴに行き着くのですが、それでも

noteの形で、ある意味取捨選択する権利が閲覧者にゆだねられた状態で、好き放題書いてしまえ、という平日の夜です。目も当てられない文章ですが、本当に文字通り目も当てられなくなったら閉じてくださいね。でも今書きはじめたのは、宣言したからには即実行、己の言葉を軽くしてたまるかというなけなしの自意識かもしれません。

本題に。基本的に中村雪生さんの著作「アフターディナーミント(下記にリンク貼っております。大変残念なニュースですが、同著作は金銭を支払うことなく閲覧が可能です。)」に寄せた感想となります。一部ご本人のTwitterからの抜粋もありますが、怒られ次第すべて跡形もなく消しますので悪しからず。

まずは下記へのアクセスをどうぞ。


ぼくへ 結論から言えよ(一首目「どうしても」)

ということで、結論から。ぼくが中村さんの短歌と文章を好きなのは、むせかえるくらいの生々しさと寓話的な綺麗さが共存しているからです。上坂さんの言葉を借りれば、だからこそ「ほんとう」のように思えるし、永遠性がそこにある気がしてくる。

どうしても触れ合うときに思い出す人類が春には消える花だったこと

触れ合うという温度感と、春には消える花という象徴的な、寓話的な、抽象度が上がった概念の対比が綺麗なうただと思います。比較的解釈の余地が大きい歌だと思うのですが「どうしても」という必然性、春には消える花「だった」という、まるで何度も経験してきたかのような既視感を醸しつつも、隠喩的な断定がきれいです。
まっずい…言語化が難しい…シンプルに箇条書きにすると
・触れ合う/消える、のコントラスト
・「思い出す」、「だった」という断定による、「人類=花」という(演出としての)真理性
・触れ合うという刹那的な事象と、花(咲けば散る刹那性)のアナロジー

なんというか、生身な、有機的な感覚を残しながら、寓話的な比喩になっているバランスがウオオオオとなるんですよね……
解釈違いだったらすみません……※改めて、なんでも許せる人向けです。そして、すべては「やばい好き!!!!!!!!」に説得力を持たせるための1ファンのあがきということでご容赦いただければと……そう、要は好きなだけなんですよ。この話はこの一言ですべてが終わるんです。でも偽物扱いされるくらいなら、判決の前に情状酌量くらいは目指したいよなあという趣旨でございます。


有機的な寓話性(二首目「無価値でも」)

主論の補強材料として、もう一首有機性と寓話性が綺麗で大好きなうたを引用します。

無価値でもきみに触っていられたら砂丘の白になったっていい

はい!いかがでしたか!おわかりいただけたでしょうか!解散!!と暴力的に言いたくなってしまうくらい好きなうたです
先ほどの「触れ合う」と重複しますが、ここでの人間味、肉感は「触っていられたら」だと思います。それに対して「砂丘の白」が無機的な美しさを孕んでいる。
己を投げ出すような(”無価値でも”)自責的な、あるいは破滅的な表現がありつつも、触って「いられたら(=継続のニュアンス)」があって、思わず音読したくなる一首です……ぼくだけかな、ぼくだけでもいいんですけど
砂丘の白、もだいすきな一節です 砂丘というただでさえ広大さ、匿名性のあるモチーフに対して、さらに色の特色だけに絞る。そうなったって触れられたらいいんだという、フルパワー、gainもvolumeもフルテンだけど上品さがあるうたで好きです

対価性のないようなあいのこと(三首目~五首目)

停電と空の浴槽どこまでも生活になれ不在のあなた

「あなた」がいない足元の非日常が、いつか生活(=日常)になってほしいという祈りのうただと思っています。いつまでも、ではなく「どこまでも」生活になれ、という表現が、空間的な奥行きを感じさせて、より空の浴槽モチーフの虚脱感が際立っている気がします。
また、普段は当たり前に通っているはずの電気も、お湯で満ちているイメージの浴槽も、それらの対極が提示されることで、「あなた」の不在の非日常感が滲んでいると思います。すきだ……ウウウ
極めて日常的なものによる非日常(停電、空の浴槽)、限りなく近しい日常だったはずのあなたの、不在という非日常が、生活の一部になってゆけという祈り……ウウウウ

今日の日に今日が終わっていくようにあなたの声も保存できない

告白はひらがなでしたあなたには全てひらいて見せていました

ここにきて偏りのある選歌だったナァと反省しているのですが、幅を持たせて中村さんを布教したいのではなく、極めてエゴイスティックに、好きなうたを押し付けたくて書いているので開き直ることにしました。

「今日の日に今日が終わっていく」という隙のない不可逆に、声の保存を重ねています
後者のうたでは、ひらがなの成立に寄せて、あなた(だけ)には開示していた自己への言及があります 一貫して過去形なのが、どこか寂しさも感じる気がします


ライナーノーツではない 二輪の文章について

好きな歌のうち少しだけ抜粋させていただきましたが、単発でよい歌だということに限らず、やっぱり間髪入れずキメられる文章も好きです。
中でもFluorite lighter ink、そこからのSHINAE(これ、”E”として単語化、無機的なタイトル化しているのずるくないですか?寂しくなってしまう)の怒涛のボディーブローが、どこまでも独りを感じられて好きです

このnoteの最後に、初めて拝読したときの日記の一部から抜粋するのですが、今でも全く同じ感想でした。

もしアフターディナーミントだけを履修した方がいるなら、どうかThursday, December 30, 2021も併せてご覧ください。回り道で探してほしいのでリンクは貼りませんが、俳句含めたくさん言葉を浴びてください、、(?)


おわりに

簡単ではありますが、好きという気持ちを自由に書きなぐってみました。
触れられなかったうたも含め、総じて、光や夜、春、(春を強烈に意識した)冬、海、生々しい人間味と対照的な寓話性。それらが混ざって、随所の文章とともに不思議な説得力で迫ってくるのが中村さんのことばの好きなところです。強いて言語化するなら、って感じだけど

ぼくに限った話ですが、自分自身の醜悪さや間違いとはまた別のレイヤーに、ひとの言葉に対する好意があると思っているので、その気持ちは素直に投げたいと思っています

そして、今日ご本人から(ツイートもありましたが)、短歌の核について有料級コメントをいただきましたが、極力それを聞く前の自我で感想を記させていただきました。どうしても聞きたかったから聞いてしまったけれど、やっぱりなんとかしてお金払えないかな……私は盗人です……
書き散らす前に、そのキーワードでまた読み返して、やっぱり好きだなあと思いましたとさ

では、作品に出会った当初の日記から原文ママで抜粋して終えます。
絶対に消したくなるので、素面で読み返さないことを誓います。

またお話できる機会があればうれしいな


命を削るようにぼくが中村さんの名を呼ぶことはきっとないし赦されないしできないけれど、限りなく、途方もなく遠くにそれを見据えた好きが赦されてほしいという祈りが確かにあります 洞窟の~のうたの反証として


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