ウルトラアルティメット連作〜好乃智紀さん「想うこと」を受けて
はじめに
この文章は、短歌の門外漢による、あくまで主観的な感想であることを明記させていただきます。
私自身、歌の批評をきちんとした事はありませんし、体系的な知識もない中で縁あって(勝手に)書かせていただく流れになりました。
したがって、作意を言い当てようとするわけでもありませんし、あなたが好乃さんの短歌を読まれて感じたことを否定したり、矛盾したりするものではありません。ある1人の鑑賞者が下記のように受け取った、ひとつの解釈として、ゆるく読み流していただれば幸いです。
毎度のごとく好きなだけ!信憑性を足したいだけだよ
自分と違う解釈や、歌から連想した勝手な想像が苦手な方、短歌の鑑賞はかくあるべしというこだわりがある方は自衛のためブラウザバックをおすすめします。
では、本編。すべての短歌は「想うこと」からの抜粋です。
全体を通して
一首一首が解釈の幅が広い、完結している歌のように受け取りました。
全体のテーマ性を一言で表すとしたら「自立と愛」だと思います。なぜそのような解釈に至ったのか、一首一首を見ながら書いていきます。
一首目 心臓と炭酸
心臓が炭酸みたいにひかりだし恋だったんだと気づく燦然
初めに気がつくのは恋を炭酸で例えていることでしょう。
恋をしたときの淡い胸騒ぎの感覚と炭酸の泡が弾ける様子を例えたものと思います。そして炭酸のもう一つ大きな意味は「ひかりだし」の部分でしょう。この歌が締めくくられるのは「燦然」です。ひかりだし、と言う部分と燦然というところから、恋が主体にとって光輝いている、ポジティブなイメージを感じます。
胸がざわつくと言うのはよくある表現ですが、それをうまく炭酸と言うモチーフで感覚的にもわかりやすく、光り輝いているようなキラキラした明るいイメージを込めているところがこの歌の好きなところです。
最後に「恋だったんだと気づく」の部分についてですが、ここが過去形になっているところから、ある程度、自分が恋心に対して自覚的ではない期間を挟んでいたことを示唆しています。
続く二首目は明確に春の歌ですが、この歌は連作を始めるにふさわしい恋の始まり、恋の自覚による「萌芽」、そういった意味での「春」のニュアンスを多分に含んでいる歌だと思います。さわやかな甘酸っぱいオープニングです。
二首目 夜桜
夜桜をあなたに見せる 夜だってそんなに悪くないよと笑う
仄暗い連作の中で、相対的に1番明るい歌だと感じました。文意だけを取ると、夜に対してネガティブなイメージを持つ客体に対して、主体がきれいな夜桜を見せることで、夜のポジティブな側面を補完しているように読めます。
桜をあなたに見せる、と言う描写から、主体が能動的に動いて、客体に夜桜を見せたことが窺えます。また「そんなに」と言う描写から、主体自身も決して楽観的ではなく、どちらかと言えば、悲観的な客体に、ネガティブな事態の別側面を見せようとする試みにも見えます。
連作として読むと、この客体は一首目の恋心の対象でしょうか。主体の「あかるい方へ導こうとしている」あたたかさと、客体が抱えているであろう仄暗さ・自ら光の方を向いてはいないような受け身の感覚が少し不穏です。
そして、その不穏さを裏付けるかのように、連作は次のうたで大きな転換をみせます。
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三首目 罪と罰
罰だろう あなたの雨が降る限り傘をさせると思ったことの
こ〜〜れ、ぼくがこの連作で一番好きな一首です……
この歌が似合うのは6月でしょう。
初句切れでの倒置。初句として置くには、衝撃的・センセーショナルな「罰だろう」の5文字。
この主体は何か、ここまでの客体関連で劇的に傷つくような、思わず顔を歪めてしまうような苦痛、そういう類の状況に置かれたのだと解釈しています。
具体的には……なんだろう、打ちのめされるような裏切り行為や、予期せぬ形での断絶(後述しますが、連作の解釈としてはこの「断絶」の蓋然性が高いかと思っています)でしょうか。
そして、罰に対応する、主体が思う己の罪状への言及が続きます。どんな罪に対する罰なのか?それが「あなたの雨が降る限り傘をさせると思ったこと」に対するものだという……
主体は、「あなた」に降りかかる火の粉を払えると、止まない雨に対し傘を差し伸べられると思ったのでしょう。恋心の自然な帰結として、大切に思う対象を、自分の手で危機や軋轢から「守りたい」「守れる」と思ってしまった。
そして、それは確かに尊大なエゴでもあります。色んな形で否定することができますが、例えば、一般論として、誰かを助けることそれ自体を越権行為として見ることができるかもしれません。自立した個としての関係として「わたしはこの人を助けられる」と感じてしまうことは、相手次第では思い上がりになってしまうでしょう。
あるいは、はなから「あなた」は傘もないまま歩き出したのかもしれない。隣で傘をさすにふさわしい、別の誰かがいたのかもしれない。いずれにせよ、客体は、主体が傘をさしつづけてくれることを、文字通り全く、疑いようもなく、必要としていない(しなくなった)のでしょう。
連作として見たとき、二首目の「夜桜を見せた」ことさえも必要のない傘だったら辛いな……全体を通して、客体からのリアクションの描写がないので、一方通行の恋なのか、部分的にでも恋愛感情が返ってきているのかは解釈に任されているんですよね……
そして、順番が前後してしまいますが、客体は一貫して、雨が降り続けている対象、あるいは夜を厭んでいる対象として描かれています。
何度読み返しても苦しくて苦しくて、大好きな歌です。
四首目 心臓と炭酸2
炭酸の抜けたサイダー 思ってたよりもずうっと甘い心臓
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4首目です。炭酸と心臓の描写が回収されます。一首目で淡い恋心の発露として弾けた炭酸が抜けていることから恋が終わったと解釈できるでしょう。先ほどと続いて、夏の歌かな。
2首目の解釈で主体と客体の関係性が断絶に終わった蓋然性が高いと書きました。その根拠となるのがこの歌です。炭酸は抜けてしまった、すなわち、はじけるような恋の感覚は、過去のものとなってしまったのではないでしょうか。ただし、そこに甘さという余韻が残っている。
「ずうっと甘い」という表現から、炭酸が抜けたサイダー特有の飲みづらいほどの甘さに加えて、身を結ぶことのなかった恋心にどこか潜んだ幼さを感じます。
この連作の好きなところは、必ずしも主体は恋の終わりそのものを苦しんでいるわけではないことです。
先の「罰だろう」の歌もそうですが、この連作の主体にはどこか超然とした雰囲気(あるいは、どこか事実を事実として淡々と受け止めている雰囲気)を感じます。それは目の前の事象を罰だろうと受け止められる姿勢もそうですが、「思っていたよりも」ずうっと甘い、という描写から、主体が今置かれた状況をどこかで想定していたような雰囲気を感じます。
そこに主体が二本足で立っている、自立している印象を受けて、僕はとても好きです。さらにそれが象徴的なのが次の歌。
五首目 青空
落葉樹 自分の足で立つようになって初めてわかる青空
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この連作で2首目の、初句切れの歌です。
連作の中では、1番解釈の余白が大きい歌だと感じました。
独立した個として歩み始めて、ようやく気づくことも多くあるでしょう。例えば相手に知らず知らずのうちに依存してしまっていたことや、自分が傘をさすつもりが守られていたことだってあるでしょう。
初句の、秋特有の寂しさもありながら、あくまでも自立し、そこに青空が広がっている描写が入ります。
この、ようやく空を見上げて、歩みはじめるような感覚が好きな歌です。
ここまでが、冒頭に書いた「自立と愛」のうち「自立」の部分です。そして残る2首が、ついに1人で歩き出した主体が抱く「愛」の部分です。
六首目 光陰
振り向けば光のような一年で幸せだったかどうか聞かせて
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年末、冬の歌です。
ストレートな歌ですが、幸せだったかどうか聞かせて、の部分が少し寂しいですね。多くは問わず、主体自身は介在せずとも、客体が幸せだったかどうかだけは気になっているような、すこし温かい気持ちが寂しいです。
委細は問わずとも、そして自分自身の手によらずとも、幸せに暮らしていてほしいという感情を愛と呼ばずして、なんと呼ぶでしょうか……
そして、最後、念押しのような一首です。
七首目 祈り
一緒にはもう来られない境内であなたのことを先に祈った
連作としてみると、初詣のことでしょう。
もう来られない、という表現がかつて一緒に参拝にきたこと、そして2人の関係性が決定的に変わってしまったことを示しています。
下の句では、自分のことよりも、先に客体のことを祈った表現が織り込んであります。
日本で神に祈る時なんてあんまりないし、自分のことを祈って当然なのにね。
句切れなしでたたみかけるように、誤解しようのない決意が歯止めなく伝わってくる感覚が、なんとも切ないな…………
最後の二首については特に、ど直球ど真ん中、まごうことなく「愛」が詠まれていて、ここまでの「自立」、必ずしも自分の介在を必要としない、「あなた」への幸福を願う愛情が苦しくて大切でだいすきだ
最後に
好乃さんは、代表歌をはじめとして、さいっこうに糖分マシマシな歌のイメージをお持ちの方もたくさんいらっしゃると思っていて、そういう方にこそこの連作をたくさんたくさん読み返してほしいと思っています
JPOP、バックナンバーみたいな表情もあるけど、抒情系とか残響系とかそういう表情だって多種多様に見せてくれる歌人さんなので、もっともっとみんなで推そう
この連作は(うたからお借りして)ウルトラアルティメット連作と呼ぶにふさわしいよ ぼくは大好きです
以上!
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