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型ってなんだ

 「マネ型」本のプ譜について考えていたら、最近のビジネス界全般において、「型」という言葉の意味合いやイメージが、結構あいまいなんじゃないかなぁという気がしてきた。

 「型」というと「型に嵌める」「金型」「型破り」など、外形的なものをある基準にあてはめるという感覚がある。
 つまりこれを英語に訳すと「mold」が意味合いとしては近い。しかし一方で「model」「shape」「style」などの訳も考えられ、全体的に言わんとするニュアンスについてはまったくの異論の余地がないながらも、その本質がどこにあるのかというと、はたと困ってしまう。

 つまり、例えば「model」といえば、その代表選手に「ボーアの原子模型」がある。これは、原子の形そのものを表現したものでなく、理解するための仮説である。どちらかというと「イデア」に近い。「外形」でなく、「本質」。「具体」でなく、「抽象」。
 ファッションモデルをモデルと呼ぶのは、決して偶然ではない。

 「mold」的な「型」は、標準化されていて、型に嵌めれば量産化が容易で、スケールしやすい、という意味合いを含んでいる。

 「model」的な「型」は、到達すべき究極の理想像であって、これを目指して日夜鍛錬する、という意味合いを含んでいる。

 ちなみに、英英辞典でひくと、両者にはこんな説明がある。

mold
SHAPED CONTAINER / TYPE OF PERSON / GROWING SUBSTANCE

model
SMALL COPY / FASHION / TYPE OF CAR ETC / DESCRIPTION / SOMEBODY/SOMETHING TO COPY

 日本社会のムラ的感性、出る杭は打たれるDrivenな行動様式の文脈で語る時、「型」とは「mold」的な「型」として立ち上がり、「無難」「没個性」「怒られない」「教科書どおり」「校則に反しない」「優等生」等の象徴となる。
 ビジネスシーンで「型」を語るときも、同じ感性が働いていいのだろうか?

 ルーチンワークをせっせとこなすタイプのビジネスであれば、それでいいだろう。大企業のなかで、ダメを出されずに生き残るのにも、いいかもしれない。
 しかし、プロジェクト型の業務においては、上記の感性に従うことは自殺行為である。

 「mold」的な「型」と、「model」的な「型」。同じ「型」でも、全然違う。どちらを指向するのかという論点は、なかなかに重大な問題を孕んでいる。

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