物理屋の発想法
ここ最近、真面目に現代物理学を勉強し続けている。そこで見えてきたのが、物理屋の発想法である。
①数式で表現しやすいものを表現する
②微分したり積分したりする
③テーラー展開したりする
④誤差を切り捨てる
⑤表現しにくいものが数式で表現できる
荒っぽくいうと、あの人たちはこういうことを積み重ね積み重ね、突如、世にも美しい数式や原理を差し出してくる。
そういう手続きが、怪しいものに見えなくもないのだけれども、おそらく、怪しくはないのだと思う。
数学でいう微小と、物理でいう微小は、きっと、まったく違う概念なのだ。
数学的に考えると、文字通り無限に小さい桁が「実在」する。物理的に考えると、コンマ10桁も考える必要がない。二乗すると誤差に含まれてしまうレベルの微小量とは、せいぜいコンマ3桁とか4桁を考えれば十分だ。
むしろ、それよりも微細なレベルで測定をしようとすると、マクロでみた姿とはまったく異なる表面の肌理が露出してしまう。コンマ数桁ぐらいまで拡大したり、微分したりしさえすれば、十分に滑らかで連続した、精度の良いモデルが出来上がる。坂道を解析するために、あんまり細部を拡大しすぎても、アスファルトの凸凹によって、かえって傾斜角度は収束しない。
当該考察対象よりもミクロの構造は、仮説で良い。結局のところ、ミクロな内部構造はマクロに影響を及ぼさないのだ。外部に対する振る舞いさえ正確に記述できればいい。
だからこそ、離散と連続を区別しつつも扱えるのであり、畢竟、量子化するという思考法の本質とは、そこにあるのだろうと思う。
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