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僕らが大人になるために

 会社にご飯を食べさせてもらう、という構図が、現代日本の生き地獄の真の原因なのだと思う。

 もちろん、他者に食べさせてもらう時期は、誰にだってある。未熟なうちは、食べさせてもらわないと、生きていけない。
 同時に、ある一定のキャリアを超えたら、他者を食べさせる立場になるはずである。
 いまの会社の仕組みや雇用制度のもとでは、この転換が働かない。誰かが作った商品、誰かが作った戦略戦術、誰かが作った客、その範疇で、ルーティンワークをくりまわす日々。

 人が替わっても、客に対する提供価値が減じたり、売上・利益が失われてはならない。だから、再現性のある仕組みで担保する。

 そこが問題なのではないか。

 つまり、個人個人の主体が、構造的に、抹殺されてしまうという状況。

 主体性を持て、と、繰り返し繰り返し、経営はどやしつけてきた。しかしそれは、本来の個人個人の主体性の話ではなく、法人の主体性を体現せよ、ということだった。

 脱サラしてフリーランスになれば良いかというと、そうでもない。仕事のマッチングサイトに登録して、価格競争に巻き込まれるタイプの仕事に従事すると、サラリーマンよりもっとひどいことになる。

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 食べていくための資源を、インスタントに楽して得ようとすると、必ずそこには従属、隷属が発生し、支配ー被支配の関係が発生する。それを動かすロジックは、権力の論理である。
 権力と腐敗は、表裏一体である。権力という作用には、経済の円滑化というポジティブな働きもあるが、絶対に、支配する側を利する働きがあり、人間の弱い心を甘やかす。

 いまも昔も、日本中のサラリーマンは、被支配のストレスや哀愁を、苦労と勘違いしているのである。被支配下にあり、会社に食べさせてもらっている状況のなかで、家族を食べさせてやってると勘違いしているのである。
 つまり、我慢の対価として、毎月のお給料をもらっている。
 お小遣い感覚で、対価を得ている。

 お小遣いでは、生きるということの充実は満たされない。人間には、主体でありたいという、本能がある。それを、抑圧している。抑圧は恨みを生む。
 毎月のお小遣いを失うことへの恐怖で、人は恨みを溜め込み続けることになる。

 その昔、昭和のサラリーマンは、夜ごとに赤提灯のもと、互いが互いに、弔いをしていた。

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 時々、実に滑稽なことが起きている。甘やかされることに長けた人間が、立場を上昇させ、部下を甘やかすことを仕事と勘違いする。
 部下が上手に甘やかされてくれない、と、怒ったり、悩んだりする。
 上司が上手に甘やかしてくれない、と、怒ったり、悩んだりする。

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 かつての自分も、そうだった。

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 大人になる、とは、そういう世界で、感覚を磨耗させ、人間性に対して不感症になることでは、ない。
 人間性に対する不感症は、恐ろしい。人を人と、思えなくなる。人間とは、人間であって、上司でも、部下でも、先生でも、生徒でも、業者でも、発注主でも、ない。部下、とか、上司、とか、そういうふうに見るということは、相手を人じゃないものに、みているのである。
 そういうふうに見えると、周囲の人が、いたわりや連帯の対象ではなく、収奪すべき対象に見えてくる。
 一方で、ほとんどの人はだいたいにおいて、自分のことを普通に善良だと思っている。だから、主観的には正義をなしているつもりで、平気で相手の心を踏みにじる。
 実は、それによって、自分の心をも、毀損している。安楽を得ようとして、苦が苦を招き寄せる。まさに餓鬼道。賽の河原で石を積み続ける子どもたち。

 その姿を体現している「大人」の、なんと、多いことか。

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 大人になる、とは、己の精神の自主独立を、達成することである。仕事や給料や評価や人間関係を、誰かにあてがってもらうのではなく、自ら生み出さなければならない。
 つまり、仕事(社会課題や問題)を自ら見つけ、そこに他にない独自のアプローチで対応し、成果と対価を紐づけ、取り引きをすること。
 こうしたことをやらないと、自主独立は、達成できない。

 人間を成熟させてくれる苦労とは、自主独立の達成のための苦労である。

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 問題を自ら見つけたり、独自のやり方で解決したり、自ら交渉し、対価と交換するなんで、とてもやってられない、面倒なことなのである。
 しかし、その面倒なことをやったさきには、誰のことも支配しない、誰からも支配されない、精神の自由が手に入る。

 その面倒から逃げた先には、従属の悲哀が待っている。

 慈悲深い主人に飼い慣らされた奴隷は、本当に幸せか?

 答えは明らかに、否、である。

 いい大学に入って、いい会社に入ったら、食いっぱぐれない、安泰だ、という。そのために、人並みに協調しろ、という。
 それに長けた人間が、成績の良さを褒められ、甘やかされる。そして、甘やかしを再生産していく。

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 自分は(うちの夫は、妻は、あるいはうちの子は)特別な才能のない人間だから、独立なんて無理だ、従属できれば立派なものだ、人生大成功なんだ、という人がいる。

 それは、根本的に誤った考え方である。

 その発想が、己を抑圧し、周囲を抑圧している。そのことに、気づけないでいる。その圧殺の息苦しさ。
 大抵の人は、現実逃避する。逃避しても、逃げ切れはしない。

 解決は、本当に、簡単なことなのだ。

 己に可能性が、あることに、気付くだけで、良いのだ。

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 個人的に、アメリカという国が偉いなぁ、凄いなぁと思うのは、自主独立を、建前として掲げていることだ。もちろん、そう簡単じゃないし、矛盾だらけだけれども、目指す先として、国を挙げてテーマにしている。これは、とんでもなく凄い話だ。

 ちなみに、「自由の女神」は、とんでもない誤訳である。あんなカチコチに固められて、どこが自由なのか。

 かの像は、「自主独立の象徴」が、正しい訳である。

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 いまの自分は、たぶん、そこに向けて、歩き出している。

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