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血という物語

シンエヴァで庵野秀明は死に物狂いで大人になろうとしたが、ぶらどらぶで押井守がやってることは大人だとか子供だとかモラトリアムとか関係なく、自分の気に入ったことだけしていくというスタイルだから、とても軽く見られる。

 というツイートを見かけて、そうそう、そうだよねぇと思う。

 本当の意味での大人は、後者であって。

 そして、この構図は、そのまま、「花束」が描いていることにも、通じている。つまり、麦=シンジ君である、という話である。

 ぶらどらぶについては、引き続き、気になった回を時々見返したりしている。
 今日はふと、この話における「血」とは「物語」の暗喩なのかなぁと思った。マイが血を飲むと、人格が憑依してしまうという設定は、そのものズバリ、まんまそういうことだという感じがする。また、明らかに監督のオルターエゴである血祭先生にとっての「収集」や「研究」の対象、ということにも、符号は一致する。

 主要な登場人物たちは、みんな何かしらのオタクで、自分の物語を持っている。貢はそのなかでも極めてレアなマイノリティ。

 多分、良い線行ってる解釈だと思うけど、まだまだいちピースでしかないのだろう、「そういうことだったのか!」というインスピレーション体験には至らない。まぁ、急ぐ旅でなし、もう少し気長に考える。

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