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「学」の要件

認知、計算機、脳、情報、生命。

突然だが、これらの言葉の共通点がわかるだろうか。

おしりに「科学」がつくということだ。

進化という言葉にだって、おしりに「科学」がついても良さそうだけど、つかない。進化の研究は、進化科学、とは言わない。よく人は進化論と呼ぶ。「進化生物学」が最近では正式名称なんだけど、意外と定着度が低い。

「◯◯科学」の話の前に、そもそも「学」の世界には「学」の世界の序列みたいなものがあるのではないか。そんなことを考えてみる。

なかでも、「漢字一文字」+「学」は、かなりの強者だ。

哲学。数学。理学。工学。医学。文学。化学。農学。神学。史学。地学。美学。

ほら。並べるだけでも、相当強い。
(ちなみに、このなかで「術」がつくのは、医と美だけだったりするが、それはまた全然別の話だ)

これらの言葉の集合と対置すると、「二文字」+「学」は少々不利な漢字がしてくる。
生物学、物理学、経済学、社会学、熱力学、宗教学、論理学、言語学、経営学、心理学、教育学、統計学、地理学、倫理学、天文学、博物学、設計学。
あくまで第一階層は「一文字」チームであって、「二文字」チームは、分類上の第二階層、という雰囲気がする。
しかし、そうした感覚は日本語話者独特なものなのかもしれない。英語だとどうだろうと思って、調べようかとも思ったが、暇があったらやってみようか。

自然科学、という言葉がある。これは、社会科学が生まれたあとに作られた言葉ではなかったか。社会科学。社会だって、科学だぜという主張である。そう言われると、自然科学としては、自らをそこから峻別したくなる。
社会科学こそ、「論」的な学問体系に思える。「論」は、なんだか、そもそも科学より全然手前にあって、主観的というか、「論じることは大いに結構だが、客観的真理としての立証可能性は必ずしも留保されない」という感じがある。持論・異論・正論・国論・公論etc。

例えば、「教育学」は「学」だが、「教育論」は「論」であり、ニュアンスに相当な違いがある。アカデミアという絶対領域は、神聖にして不可侵で、そう簡単には新規参入を許さないぜ、という感じがある。

◯◯科学と呼ばれるジャンルは、進化生物学と同じく、学問のなかでは新興勢力のはずだ。既存の枠組みでは対処できない、学際的な新領域。しかし、うまいこと検閲をかいくぐって、アカデミアの領域にうまいこと収まった感がある。
「進化論」という言葉を見聞きすると、いつも、そんなことをちらっと考えてしまう。

失敗学、という言葉があるが、これは失敗論だと全然違うことになってしまう。アカデミア風に言うと、信頼性工学、というところか。俳句はどうか。俳句学。あんまり聞かない。これが、俳句論、だと、急に目に馴染みが出てくる。組織学とはあんまり言わないが、組織論とは言う。

◯◯工学、となると、また様相は違ってくる。金融工学、経営工学。これも、「論」的な世界から「学」的な世界への接近を思わせる言葉だ。

「工学」を満たす要件は、観測でき、記述でき、制御できることだと我が恩師は教えてくれた。では、「学」の要件とは、または「科学」の要件とはなにか。


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