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ぬけぬけとしたstereo3

 山崎まさよしがstereo3なるアルバムを出したと聞いて、高校時代にこれ以上ないというぐらいに聞き、弾き、歌い続けていた私としては、それは聞き捨てならぬと早速、購入したのだった。

 聞いてみると、なんか、すっかり成熟してしまった山崎が、そこにいた。

 あらゆる角度で、いいオヤジになっていた。むかしむかしのギラついた感じや、魂の芯まで寂しい感じは、すっかりかげをひそめていた。芸術性や演奏技術を極めるぜという感じもない。

 ただただ、生活感情をリフにして、メロディに乗せ、歌う。そこにはかつての衒いも含羞もなかった。

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 古いファンにとって、stereoというタイトルには、かなり深い思い入れがある。
 そもそもソロで活動している人間が、セルフプロデュースでプライベートアルバムを作る、とは、一体どういうことなのか?その成り立ちの前提からして、興味を掻き立てられた。
 全ての楽器を己ひとりで弾きこなし、アレンジする。そうまでして生み出したい世界が、ある、ということに衝撃を受けたし、聞いてみるとやはり、他のアルバムとは手触りが異なるのだった。なんだろう、魂が剥き出しになった、とでも言おうか。

 stereo2のあとも、sheepがあり、アトリエがあり、セルフプロデュースの流れを汲む作品は生み出されていったが、最初期のstereoの持つプロトタイプ感とは質的には少し離れていく感覚があった。
 近年の音楽活動には、正直なところ、初期衝動はすっかりおさまった感じがあって、たまに新しいアルバムは聞いてみることがあっても、そこまでぐぐっとくることはなかった。

 そんな流れがあっての、いまここで、stereo3。

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 1回目に聞いたときは、少し幻滅した。最近の気の抜けた作品群との違いがよくわからなかった。しかもすこし情報を見てみると、演奏や企画に他者の手を借りていたり、完全セルフではない。
 ご息女がボーカルに参加している、なんて情報も目に入って、ああ子どもが生まれたミュージシャンってそういうことやるよね、みたいな白けた気持ちもよぎった。

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 今日は区役所やら税務署やら法務局に書類をかき集めに行く日だった。しょうもないことで予定が狂ったり、面食らったり、行ったり来たりの道中で、何度かリピートして聴いてた。
 なんか時間無駄にしてるなぁ、やりたいことあるのになぁ。そんなふうに思いながら、人を避け、信号を待ち、生活感に満ちた時間を過ごしていた。

 だしぬけに、これも良いのかもしれない、いや、むしろこれが良いのかもしれない、と、思った。

 娘が生まれたら、愛しくてたまらないよと、ぬけぬけと歌う。その脇でまた、ぬけぬけと道ならぬ恋愛についても歌うし、リスペクトしてきた大先輩との時空を超えた共演も、ぬけぬけと果たす。
 DIYにハマったらそれも歌う。社会問題のこともそれなりに歌う。
 これまで培ってきた、コードを、フレーズを、楽器も全部、ぬけぬけと再利用する。それは集大成というコンセプトにおける、サービスといえば良いのか、あるいは、これ以上はもう新しいものはないよ諦念とも思えなくもなく。

 そもそもがstereo3というネーミングで、この内容というのがもう、人を食っている。

 それでこそ、という気もするし、でもやっぱり、ちょっと物足りないようなところもあるが、まぁそれもふくめてしょうがないかと苦笑いするしかないような…
 ミュージシャンとして酸いも甘いも噛み分けてきた25年の集大成とは、一体…
 生きるという行為とともに、歌う、ということがある。それだけ。そういうことなのかもしれない。

 生活感情を生活感情のままに歌うこの人は、きっと、やっぱり、生粋のブルースマンなのであろう。

 実に、ぬけぬけとしたアルバムだった。

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