語り得ないことを、語ろうとする
過程と結果、どちらが大事なのか、と、よく言われる。
外見と中身、どちらが大事なのか、とも、よく言われる。
その手の問いに直面した瞬間、すでに、負けているのである。
いま、ここで、勝利条件が見えている、ということは、いつか、どこかで、勝つことと同義である。その逆もまたしかり。
それは、目を凝らしたからといって、見えるとも限らない。どうしたら見えるかも、実のところ、よくわからない。
見えるときには見えるのだ、としか言いようがないし、見えているときには、見えていることが、さも当たり前のように、手に取るように、わかる。
見えているとき、とは、見ようとすらも、していない。ただ、見えているだけであり、見えていることをわかるだけ、なのである。
つまりそれは、見ようとしたとたん、見えなくなったりもする、ということでもある。見えていたはずが、いつのまにか見失ってしまっていた、なんてこともある。
こういうことは、ロジックで語るべきことでもないし、語り得ることでもない。
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