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16.ちゃらんぽらんを宿す。

今朝、オンラインサークルの仲間と話をしていて、「ちゃらんぽらん」という言葉が出てきた。
実は以前から何度か耳にしていたこの言葉。
僕自身が大切にしたいこととも重なる部分がありそうで、「結構キーワードかも」とつぶやいたところ、「にょんさん、それでnote書いてみたらどうですか?」とアドバイスというかリクエストというか、をもらったので、早速忘れないうちに書いてみようと思い立ったが吉日。
こうして書き始めている。

ちゃらんぽらん。

口に出してみて改めて思うのが、「なんてちゃらんぽらんな音なのだ!」ということである。
口にした瞬間から、肩に入っていた余計な力が抜けるような不思議な響きがある。
もう「ちゃらんぽらん」であることは「ちゃらんぽらん」という言葉以外には存在し得ないと感じてしまうようなしっくりきてる感。

手持ちのスマホに入っている辞書で意味を調べてみた。

(名・形動)
いいかげんで無責任な・こと(さま)。
「ーな奴」
大辞林

パッとみた感じ、ネガティブな意味で広く通っているように思える。
でも、これ、「わかるわー!」って感覚が結構個人差があって、賛否分かれそうだけど、「ちゃらんぽらん」には、なんかただただいい加減で無責任であることを非難するだけじゃなくて、文脈によっては、「愛すべき憎めないやつ」みたいなニュアンスを感じるのだ。

僕自身がキーワードとしてこの「ちゃらんぽらん」に心地よさを感じるのは、そういう後者のニュアンスが含まれていることについてだ。
大阪で生まれ、大阪で育ってきたという僕自身のバックボーンもきっと多分に影響しているんだとは思う。

気になったので、「ちゃらんぽらん」の語源も調べてみた。
諸説あるらしい。
出た、諸説。
その中で、いくつか調べてみた結果、よく出てきた語源がこんなもの。

ちゃらんぽらんは、「ちゃら」と「ほら」が結びついて音が変化した言葉という説がある。
「ちゃら」は、出まかせやいい加減な態度や発言のこと。
「ほら」は「ホラを吹く」に由来し、この「ホラ」は「法螺貝」のことで、大きな音が出ることから「大げさな」や口ばかりの嘘という意味合いを持つようになった。

語源を辿ってもなかなかにネガティブというか、「あいつあかんやつやん!」ってニュアンスが強まった気がする。
でも、なんやろう。
どうしても、僕には、「ちゃらんぽらん」がどこか抜けていて憎めないとか、お気楽な、みたいなイメージがある。
しばらくあれこれ調べていた時に、「そういえば、英語でちゃらんぽらんってなんて言うんやろう?」と気になって調べてみた。
そしたら2つヒットした。

一つは、irresponsible
こっちは、怒ってる感じで言いたい時に使う言葉だそうだ。

ぼくが気になったのはもう一つの方。
happy-go-lucky
こっちには、無責任だけれど、どこかかわいい、憎めないタイプの人ってニュアンスが含まれるらしい。

これやん!!

英語に訳されるときにそういうニュアンスでの使い分けがあると言うことは、そもそも日本語の段階ですでにそういうニュアンスがあったということ!
付け加えると、happy-go-luckyには、「なんでも好きにする人」というニュアンスがあるそう。

この訳を見て、僕は植木等の無責任一代男を思い出した。
直接見たことはないが、よくテレビの「昭和を懐かしむ」みたいな番組で見かけたことがある。
あの植木等演じる無責任男は、いい加減で、まさに「ちゃらんぽらん」を体現したような男ではなかったか。
けれど、たくさんの人から愛された。

日々の仕事の中で「ねばならない」は数えられないぐらいに膨らんでいる。
コロナ禍や教育改革の中で、本来は義務ではないはずなのに文化や仕組みや関係性の中で、自分たちで生み出している「ねばならない」もたくさんあるように思う。
そんな「ねばならない」を一つずつクリアしていくような日々は、終わりが見えなくて、その終わりの見えなさに疲れて、たまに一息ついて顔を上げたときに無力感に襲われることも少なくない。

「ちゃらんぽらん」の「なんでも好きにする人」というニュアンスは、言い換えれば、自己選択・自己決定を重んじているとも取れる。
「無責任」というニュアンスにしても、「なるようになる」と場の流れに身を任せて、その中で自分で選んだ道を楽しむとも取れる。

日々の忙しさに頭のてっぺんまでずっぽり埋まってしまいがちなぼくは、ぼくだからこそ、「ちゃらんぽらん」に惹かれるのかもしれない。

そんな日々だからこそ、心に「ちゃらんぽらん」を宿したい。

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