1人で頑張って乗り越えようとする心理

何かを努力しようとする時、人によっては自分一人の世界の中で努力を重ねたいと思う人はいるのではないだろうか。

事実、僕自身はそう思って生きてきた。

僕は小中高時代、周りよりかは勉強に力を入れてきた。特に高校受験や大学受験の勉強は量で言えば誰よりもこなしてきた自信がある。

しかし今振り返ると、それは自分一人の世界に閉じこもって粘り強く重ねてきた努力であったと感じている。

具体的に言えば、他人に頼ることをできるだけ避けたうえでの努力だったということである。

勉強していれば、必ず分からない問題に直面する。その際、まずは教科書や参考書、回答などを参照して解決しようとする。そしてそれでも解決できなかったり、腑に落ちなかった場合、大抵の人は先生や友人などに質問するのではないだろうか。

実際人に聞くことで、物事をより深く理解できるようになることは往々にしてあることだと思う。だから、勉強においては人の力を借りることは自身の学力を高めるのに大きな役割を担っている。人に聞くことはとても重要なことであると思う。

しかし僕は、自分から人に聞くことは極力しないようにしていた。

それは単に自分に分からない問題が少なかったからというわけではない。

僕は人から自分の弱点について言われるのを恐れていたのである。

勉強の場合で言うと、自分が間違えた箇所に関して色々といわれることを恐れていたのである。

分からないところを人に聞きに行くことで、自分が否定されたりすることは当然ないはずだ。だから自分が傷つくことなんてありえないだろう。しかしそれでも僕は人に聞くことを恐れていたのである。

そんな人に頼らない僕は、分からないところは自分の力で絶対解決してやるという強い気概をもって対処していた。そして人に頼らなくても自分の力で何でもできるようになりたいという望みを叶えるためには、自身の努力量で無双するしかないと思うようになり、人一倍、いや人三倍も努力するというマインドが出来上がった。

客観的に見ればこれはある意味間違った努力法である。それは当の本人も分かっている。ただ分かっていながらもあえて自分の力でやってやろうという気持ちで受験勉強に臨んでいたのである。

大学生になった今でもこの思考を変えることがなかなかできていない。正直これは自分のとても大きな弱点だと思っているが、全く乗り越えることができていない。

一体どうしたらこの思考から抜け出すことができるようになるのだろうか。

この思考によってなにか大きな絶望を味わうような経験などがない限り自分では変えられないような気はしている。

もしかすると人とのコミュニケーションが苦手であったり、自分のことを相談することが相手の邪魔になるのではないかという気持ちがあったりすることが要因となっているのだろうか。

とりあえず、自分の身近なところから意を決して変えていけたらいいなと思っている。

#ようえのつぶやき

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