「好きだから続けられる」って本当?

とある会社の説明会で話した人事の方が

「好きだから続けられるってわけじゃない。」

 とおっしゃっていた。

僕はこの言葉に驚くとともに、非常に納得したので、これについて書いていく。

 これまでの人生で好きなことはたくさんあった。自分の場合はバスケであった。

小中高は四六時中バスケにハマっていた。練習・試合・遊びでもなんでもバスケが楽しくてたまらなかった。

なんでこんなにハマれたのだろうか。以前までは「バスケが好きだから」だと思ってた。好きなことだから夢中になって頑張れるし、どんなにキツくても辞める気には全くならなかった。

一見するとこれは当たり前のように思える。ただ自分にはどこか腑に落ちないところがあった。しかしよく分からなかった。

 そんな中たまたまお話しした人事の方の言葉が自分にダイレクトヒットする。

「好きだから続けられるってわけじゃない。続けられるかどうかは、その人の粘り強さや物事に対する向き合い方によって変わってくる。」

確かにそうかもって思う。好きなことに対する向き合い方は各人・各事柄違うような気がする。自分ゲームも好きだけど、ずっとやってたいかって言われたらそうじゃない。ちょっとでも満足するし、一定のラインを越えたら飽きてしまう。

 じゃあ自分はバスケとどうやって向き合ってきたのか。なんで夢中になれたのか。

ともと自分はチームでは全く活躍できなかった。というか試合に全然出れなかった。チームのレベルが高いというのもあるだろう。しかしそれでも嫌な気持ちはしなかった。

練習は人一倍やった。試合に出て活躍したかったというのもあるし、純粋に練習が楽しかったというのもある。ただ一番の理由は「後悔したくなかったから」であったように感じられる。なにもかもうまくいってないけど、練習することで現状を受け入れられるようにしようとしていたのではないか。これだけやっても無理なものは仕方ない、と。

頑張らなかった結果が試合に出れないことにつながるのであれば、悔しい気持ちでいっぱいだろう。心残りが半端じゃない。

しかしやれることを全てやった結果が試合に出れないこととなるのであれば、自分は後悔しない。その時の自分では無理だったと諦めがつくからだ。

その代わりあの時こうしていればよかったといったような反省には力を入れる。そして次にうまくいかせるための行動を起こす。このように失敗をポジティブに捉えているのである。

 バスケに対してどんなときも本気で向き合うことができたかどうかが、後悔するかしないかに結びついている、と自分は思った。延いてはその後悔の念が弱く、改善しようという気持ちを持ち続けられることこそが、続けられるかどうかに関わっているような気がした。

 つまり自分が物事を続けられるかどうかは、どんなに失敗があっても後悔しすぎず、次に向けて切り替えられるかどうかに左右されるのではないかという仮説である。

自分の仕事に対して真剣に向き合えるかどうか。それができればどんな仕事でもやっていけるのかなと感じた。就職活動に生かしていこう。

 (書いてて思ったが、真剣に向き合える物事って何かと言われると、好きなものってなるんじゃないか…?とりあえず言いたかったのは物事を続けるには好きっていう要素以外にもいっぱい考慮すべき要素があるよってことでした)

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