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  仕事帰りに、意味が分からないくらい泣いていた。

  自分のことを言語化することに務めてきた20年間、なんだか形容し難いモヤモヤが喉の奥に引っかかっている。悲しいんだか、腹立たしいんだか、なんだかよく分からない脱力感。あぁ、ダメだ。気を抜いたら泣いてしまう。そうやって噛み殺して、息を止めて我慢して、ギリギリまで耐えたものがプツリと切れる時。ダムが決壊して濁流が村や集落を飲み込んでしまうかの如く、涙が溢れ出た。
  アイライナーやマスカラが溶けて、濁って、気合いを入れて乗せたアイシャドウとラメがその黒い雫の中で華やかに煌めく。私は私のために可愛くなって、私のためにメイクをして、私のためにお洒落をしていたのに。アイホールに乗せた色は、流した涙を飾るためのお絵描きじゃない。


  自分がこんなにもショックを受けるとは思わなかった。女である自分の言動の根本に、男によく見られたいという思いがあると他人から思われていたことだ。「かわいい」と男から思われたいわけじゃない。色欲的な目線を向けられたいわけじゃない。ただただ、自分がHappyに生きて、自分と同じ感性を持った誰かに、その可愛さとそれを身につける嬉しさを共感して欲しいだけ。私はその為だけにオシャレをしてる。



  周りの「かわいい」と言われる女の子が妬ましいわけではない。羨ましくないと言えばそれはちょっぴり嘘になってしまうのかもしれないけど、でも周りに勝りたいとか周りよりも優れたいとか、少なくとも容姿に関してそう思っている訳では無い。
  それでもやっぱり、自分がいわゆる「かわいい女の子」として扱われて来なかった事実と、あからさまな態度の違いが、どうしたって自分をそういう「かわいい」存在から遠ざけてしまう。男の言う「かわいい女の子」とか「みんなかわいいから」とか「かわいいからなんでも許せる」とか、そういう「かわいい」に、当たり前に自分は入ってないと思っているし、実際入っていないんだろうし、私はかわいくないから許されないと思っていて、一人で変にシリアスに状況を見て勝手にプレッシャーを感じてしまう。私はかわいくないから、何も出来ない無垢な女の子では居られない。何か役に立たなければ私は存在を許されないし、ひっそりと生きていくだけじゃ足りず、完全に生命として死ぬか、人間として死ぬかして相手の世界から存在を消さない限り、わざわざ見えるところまで近付いて来て、心を滅多刺しにされる。

  そんなトラウマというか先入観というか固定観念というか、そういうもののせいで、私は、"私の"スペースでの褒め言葉しか素直に受け取れない。開けた空間で言われる甘い言葉に、自分は含まれていないか、社交辞令かなので図に乗ってはいけない。調子に乗れない。だから、手放しで喜べないし、受け取ろうとすることすら出来ない。
  私は「みんなかわいい」と言われる度に、その「みんな」の中に自分が含まれないことを意識してしまって、一人虚しい気持ちになってしまう。だから「みんな」という言葉を使って、遠回しに誰かを褒める言葉を聞きたくなかった。そこに自分は含まれないのに、いちいち調子に乗らないように、そうやって毎回考えることで自分の中のかわいいが削られていく感じがするから。
  でも別にだからと言って、他人からかわいいだとかそういう風に褒められたい訳では無い。自意識がとにかく強い人間だから、自分さえ自分が好きで、自分がかわいいと思うならそれで良かったし、自分がかわいいと思うものに共感してもらえればもっと嬉しかった。

  空洞を誰かに満たされたいわけじゃない。ただ、既に満たされているそれを削り落とされたくないだけなんだ。

  ただそれだけ。


  褒めて欲しいわけじゃない。満たして欲しいわけじゃない。ただ、満ち足りている幸福感を削がれたくないだけ。いちいち自分は他人に認められないことを意識して虚しくなりたくないだけ。ただそれだけ。

  本当にそれ以外の他意はない。深い意味も、そのタイミングである必要性もない。ただただ何の気なしにポロッと口から溢れ出ただけ。

  ただ「いつも私『みんなかわいい』の、その『みんな』の中に自分が含まれてないって思っちゃうんですよね」って呟いただけ。だから特別ちやほやして欲しかったわけでもないし、だから言わなくてももっと気を使えってことでもない。ただただ、これから時間を共に過ごすのに、自分が居心地が良い状態になりたくて、「だからあまり『みんなかわいい』みたいな言い方しないで欲しいんですよね」ってお願いしただけ。
  私にとっては当たり前の事だった。自分の嫌なことは嫌だと伝えるべきだし、でもそれは相手には悪意がないことも多いから、あくまでそれは自分の問題だと自覚して協力をしてもらう形を取るものだということは。それは私だけではなく、共に過ごすその組織全員がそうやって伝えるべきだし、その思いは須らく受け入れられるべきだと。
  それは「組織作り」という面で大切なことで、良い組織を作るために心がけるべきことだと思ってやっていた。それなのに、私に帰ってきた言葉はなんとも見当違いなものだった。


「でもそうやって思ってても、それを敢えて口に出すのは俺はズルいと思います。」


  衝撃的だった。相手はもちろん本気で真面目にシリアスな顔でそう言ったわけではなく、おちゃらけて笑い話かのように言ったのだ。絶対にふざけて言っていいような内容ではない。だって要はそれは、周りから同情を誘って「そんなことない」「あなたもかわいい」と言わせるために敢えて私が計算をした上で言っている、と思っているということで、更にはそれを「ズルい」と言っているということは、それを批判的に思っているということだ。
  「敢えて口に出すのはズルい」それは要は、「例えそれが計算では無く本心だったとしても、そうやって口に出さずに秘めておけ」と言っているのと同義ではないのか。

  これから一緒にチームとして同じ時間を過ごして、同じ目標に向かっていく組織の中で、苦痛を主張することを許さないという態度なわけだ。

  私はただ本当に、息を吐くように「みんなかわいい」という表現をすることを控えて欲しいだけで、一切言わないで欲しいわけでも、ましてや誰か特定の人を指して「かわいい」と褒めることをやめて欲しいわけでもなかった。それに、もし私が本当にそういう風に計算して同情を誘って、「かわいい」と言われたくて敢えてそれを言っていたとして、それの何が「ズルい」のか。言われたい人には言ってあげれば良いのではないか。それであなたに何か不利益がありますか?という話なのだ。私の本心がどうであれ、どっちにしたって彼のその言動は単なる私への「意地悪」でしかないと私は思う。なかなかに酷い言葉だと思う。

  彼のその「思ってても、それを敢えて口に出すのはズルい」という言葉以外、何も私は聞いていないから、あくまで私の憶測でしかないし、被害妄想なだけかもしれない。そうだったとしても、その言葉からは、彼の中に、他人に判断の軸を合わせたルッキズムが強く根付いていることが読み取れるのではないか。

  そうやって彼は、無意識の中に、私という「女」が自分という「男」によって評価されることを願っている、ましてやそれがそうあって然るものだと考えているのだ。
  と、私は思う。


  私はそうあってはいけないと思う。

  少なくとも、男性である彼がそうあることが当たり前だと信じて疑わないという状況を、甘んじて許してはいけないと思う。
  私は、性別によって信頼関係のない相手や望んでない相手にまで勝手に容姿を評価されることを甘んじてはいけないし、嫌なことを主張することを暗に否定するようなことはしてはいけないと思う。

  信頼関係もなく、評価されることを望んでもいない相手に対して、その人の容姿を評価することはその人の尊厳を軽んじ、貶す行為だし、それをして良い権利など誰にもない。ましてや、自分の意識や考えを表現することを許さない権利は誰にもない。人の尊厳というものも、苦痛を主張することも、物理的であっても、精神的であっても、何人たりとも侵してはならない、守られるべき人権である尊重されるべき権利であると私は思う。

  その思考に至れないのは、昨今の人権を重要視する時代背景において、とても危険なことであるのではないか。



  そして私は、彼が私のことを他人によって満たされることを求めていると思っているということを通して、暗に彼自身が満たされていない、自分で自分を満たすことが出来ていないという現状に気が付いてしまい、とても哀れに思うなどした。


だったとしても、それとこれとは別の話で、別に感情を荒らげて怒ったりなどはしていないけれど、彼からの謝罪と反省なしに許してはいけないことだと思っている。まぁ、期待は出来ないししていないけれども。


  お化粧をすることだって、髪を伸ばすことだって、ネイルをすることだって、スカートを履くことだって
  私が女の子だからしているんじゃない。

  私の身体が女だろうが男だろうが、それらがかわいいからやってるだけ。

  私は誰かに褒められたくてオシャレをしているんじゃない。

  自分が自分を好きでいるためだ。



伊波 悠希

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