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ポイの生産工場


私は今、生きている。


なにそれ、ダサい。


これは、2012年夏、
埼玉県狭山市で実際にあった話だ。
2012年の夏、埼玉県狭山市にある中学校のプールに400匹の金魚が放たれた。犯人は4人の女子中学生。「キレイだと思って」と供述した4人の15歳の少女たちがプールに金魚を放った本当の理由とは・・・!? 実際に起きた事件を元に、少女たちの心情を斬新な視点で切り取ったスピード感あふれるショートフィルム。アイス、部活、祭り、ゾンビ、ボーリング、自転車、カラオケなど記憶を刺激するモチーフの連続で、観る者の想像を裏切り続ける25分間。

引用:『そうして私たちはプールに金魚を、』公式サイト


少女たちのありふれた日常のような、青春のような、ありきたりな。
どうでもよさそうで、どうでもよくない。
地元にしがみついて死んでいくだけだった日常が変わる瞬間。
それでなにが変わるというのか。


この映画は、『We are little zombies』を作った長久監督が作ったため、演出などは似ている。
自分たちをゾンビだと言ったり、咀嚼音がめちゃくちゃに大きかったり、心の声で進んでいく感じとか、上手くいっていない家族とか。


印象に残っているのは、少女たちが地元のカラオケで森高千里さんの『17才』を歌っている場面である。
この場合は、何度か出てくる。
最後はメロンソーダのグラスが割れても、そんなこと無視して無邪気に体を揺らして歌い続ける。


私は今 生きている

生きるとかそんなこと本当は興味ない癖に。


この映画は実話を基にしている。
奇遇なことに、私はこの金魚が放たれた学校の子にあった。
その子によると、一つ上の他校の生徒が行ったことらしい。
他校の生徒が自分のプールに金魚を放ったのである。
事情を掘り下げたが、一つ上ということと、他校の生徒であった為に、その後のことや本当の動機というのはわからなかった。
そこに少しこの映画の可能性を感じた。


少女たちが金魚プールに放った意味。
少女たちにしか、わからない。
それが表向きに出ているのが本当の理由なのか。
それとも、もっと単純で、もっと複雑な、理由なのか。



こうは考えられないだろうか、

少女たちはお祭りの金魚の店番をしているうちに、何人もの人がポイで金魚を掬いにきた。
ポイで荒くも繊細にも、金魚が掬われ、小さい袋に小さな水と一緒に持って行かれる。
どこに向かうかもわからない。
すぐ死ぬかもしれない。

人生をポイだとすると、そのポイを荒々しく揺れる狭い水の中に入れる。
狭い冷たい社会。
ポイが破れるかもしれないと思って慎重に入れる者もいれば、荒々しく掬いあげようとする者もいる。
金魚は自分たちの可能性。
その可能性をどうやって掴みとるかはそのポイ次第。自分次第。
それをそんな小さな箱の中に入れて、どこに行くかもわからない小さな袋にささやかな水と一緒に、ささやかな空気を入れられて、それが一体何の意味があるのか。


それなら、いっそその可能性はもっと広い場所で大きく広げてみたい。


それをポイで掬いあげる。
全身全霊をかけて掬いあげる。
救いあげる。
寧ろ、飛び込んで掴みとってもいい。
いくらポイが破けようとも。


ポイの生産が止まらない限り、ポイは何度も替えられる。
いくらぐっちゃぐちゃに破けても。

人生の生産が止まらない限り、人生は何度も変えられる。
いくらぐっちゃぐちゃに崩れても。


生産を止めない限り。
生きることを止めない限り。



#そうして私たちはプールに金魚を #映画 #17才 #森高千里 #メロンソーダ #金魚 #ポイ捨てしないでね

お金よりもスキしてくれるとスキ