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松本大洋から考えるサブカルといえる発想的な何か

いまごろは本当にネットが壊滅して実験場がいよいよ読書の中にしか存在しなくなったのでお風呂に浸かりながらつらつらと。

文化としての存在力で瞬間的にこの人を超えるのは難しいんじゃないかと考え出したら止まらなくなったわよ。

作品として取り上げたいのは「青い春」を使いたい。
この作品って巻末コメントにもあるように作者がヤンキーに対する憧れやカッコよさを漫画でリビルドした結果ではあるんだが、その中にある世界観は今でも感じられてしまうほど普遍的な強さよ。
カッコよさ云々は此処で触れてもしょうがないのでまず何が言いたいかと言うと作者の表現になると人種すら違うのではないかというタイプの違いの捉え方。

分かりやすく厭世的で背徳感や反社会性を詰め込んだはずなのにな。エンタメとして作られた物語は本質として集団で生きる人間達を表現するしかない所や救いの無い話は数百億円稼ぐ最近の少年漫画ですらも焼き増してんだろという年寄り臭い感想が出てくるほど。

ちゃんと捉えてしまうと作家が描くのは表面的な繋がりではなくその裏側にある鉄の鎖のような存在なんやなと。それが残っているからこそサブカルチャーとしての威圧感も消えることがない。

対象を見捉える時にどこを見るべきなのかをこの人からは結構影響された気がするけどそれは実人生にも無力ではなく相手の理解度を深めるために使えるものは使っていくスタイルで若い頃読んだよ。

分かりやすく言うならば、オリンピックやってるしピンポン的な話で例えると全盛期の愛ちゃんじゃなくてよしんば泣いてた頃や華とも言える福原さんの話を伝える場合に松本大洋としての一面を理解出来るんじゃねぇかと。

ディスってるわけじゃなくてアンチと荒らしの違いすら伝えることができなくなった物語には魅力を感じる理由もないなと思うだけだが、スクラップすることもできなくなったらどうするんだろね。
なので今あなたが読んでる本を教えて下さい。

取り敢えず僕は今月スラムダンク再演するんで見に行きます。

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