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自分について

・・・えっと。 

今回の日記は、なんと言うか、 
今までとはちょっと空気が違います。 
いや、多分かなり違います。 

・・・というか、日記ではないです。 

実はこれはもう結構前に書いていたテキストで、 
載せるタイミングがつかめないまま 
デスクトップにずーっと置いてありました。 
「日記」というよりも「告白」とかに近いかな。 
ちょっとしたカミングアウト・・・みたいな。 

なんだかいい具合に、 
僕の大切な人たちがみんな 
マイミクシィに揃っているし、 
タイミング的にも悪くない気がするので、 
ミクシィという便利なモノの力を借りて、 
少しだけ僕のコトを、 
ちゃんと話しておこうかな、 
という気持ちになりました。 

ので、 

ちょっと長いですけど、 
読んでみてください。 

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「気管支拡張症」と「副鼻腔炎」を伴う 
「びまん性汎細気管支炎」 

これが、今僕が抱えている難病の名前。気管支の細部が霧のように細かく炎症を起こし、そのせいで頻繁に咳がでる。365日繰り返されるその咳はやがて、気管支の所々を異様に太く広げ、硬化させていく。広がった部分に菌(タン)が繁殖し、その菌を出そうとまた咳をする。広がりきった気管支たちは、酸素を効率よく取り込むことが出来ず、ちょっとの運動でも息切れを起こすようになる。そうやって繰り返されてきた僕の肺が、おととしの冬、ついに悲鳴を上げた。小さい頃から何となくよく咳をしていて、大学生になる頃には咳もタンもヒドかった。生徒が大勢いる教室の中にいても咳で僕の居場所が分かるくらい。気管支の具合が良くないってコトはちゃんと自分でも自覚してたし、多分周りの人も分かっていたろう。おととしの冬にスノボに行って風邪をひき、帰ってからもずっと高熱が続いたので病院に行った。「肺炎なので今すぐ入院してください」と言われ、即入院。それから沢山いろんな検査をして、上記の病名が判明した。 

「びまん性汎細気管支炎は難病です」 

・・・って言われた時は、さすがに結構ビックリした。人にうつる病気でもなく、親からの遺伝でもない。原因は不明。生まれた時からこうなる因子は持っていたらしい。 

10万人に11人。 

なにその中途半端な数。 多いの?少ないの?「5年生存率」とか「肺移植」とか、そんな意味不明なことばも沢山聞かされた。ドラマかよ・・・って思った。でもまだその頃は、あまり深刻には考えていなかったかな。今思うと。とりあえず、薬は一生飲み続けないと 
いけなくなっちゃったけど。でも大丈夫、僕はきっと平気だろ。だって今までもそうだったしさー・・・って。 

でも、そこからの一年半が結構大変だった。 

まず、肺という臓器は、自分で治癒する能力を持っていない。一度肺炎で悪化してしまった僕の肺は、急に、人より吸える酸素の量が少なくなった。今まで普通に登っていた坂道や階段も、登りきると息切れがしてクラクラするようになり、肺のばい菌と闘う僕の体は白血球の数が異様に増え、毎日37度前後の微熱が続き、月に2~3回は38度を超える熱が出るようになった。そして去年の年末、新婚旅行から帰ってきてすぐ、病状が再び悪化し、早くも2度目の入院。 

びまん性汎細気管支炎という病気は、風邪をひいたり肺炎になったりする度に、ビックリするくらい急激に肺の機能を低下させる。そのため、ちょっとでも調子が悪くなったらすぐ入院して、抗生物質を点滴してばい菌を追い出さなければならない。じゃあ、その抗生物質でどんどんばい菌をやっつけちゃえばいいじゃんって思うのだけど、僕の肺の中にいる緑膿菌というヤツは抗生物質でもゼロになるコトはなく、あまり続けていると、その菌自体に耐性が出来てしまい、そうなるともう、なんの手だてもなくなってしまうらしい。 

そして2度目の入院の後、ついに先生から「在宅酸素」を勧められた。 

僕はいつもサチュレーションという計器を持ち歩いていて血中の酸素の量を計れるようにしている。普通の人がはかると98~99%の数値が出るその計器に、僕が指を入れると90~92%と表示される。普通の人が全速力で走って苦しくなった状態で計っても、だいたい95%くらいなのだそうだ。僕は階段を上っただけですぐ80%台になってしまう。ちなみに、慢性的な呼吸器疾患の患者は体の末端まで酸素が行き届かないために、指の先がドラムのバチのように丸くなる。もちろん僕の指先も、爪がまあるく弧を描いた綺麗なバチ指をしてる。なるほど、苦しいワケだよ。 

在宅酸素というのは、簡単にいうと自宅でも酸素を簡単に吸える機械のコト。ウチには今、酸素濃縮装置という1メーター四方のマシンが置いてある。ちなみに会社の机の下には酸素のボンベが3つ。そして、そこからチューブ(カニューラ)を鼻まで延ばして、ウロウロしたり仕事をしたりしている。ドラマの入院とかでよく患者さんが鼻から延ばしてるあれね。気分的には、潜水服みたいな感じかな。チューブで酸素を送ってもらいながらウロウロ。さすがに仕事の打ち合わせとか 
人と会う時なんかは付けていないので、僕のチューブ姿を見たことある人はあまりいないんじゃないかな。でも、きっとその内そうも言ってられなくなりそうなので、その時は遠慮なく「サイボーグかよ!?」ってツッコんでね。そして実は。入院後に先生に勧められたコトがもう1つあって。 

それは、肺移植の登録。 

僕の肺がいつの日か使い物にならなくなって自分じゃ呼吸が出来なくなる日がくるかも知れない。そうなった時に選べる選択肢は多ければ多いほどいいから、と。確かにね、確かにそうかもしれない。でもね。頭では分かるんだけど、やっぱり実感が伴わないよ。

肺移植には「生体肺移植」と「脳死肺移植」があり「脳死肺移植」には「片肺移植」と「両肺移植」がある。僕の場合、年齢やリスクを考えると「脳死肺移植」が妥当で、しかも両肺に菌がいる僕の肺には、いっぺんに交換する「両肺移植」しかありえないのだそうだ。そして、移植を受けるためには登録が必要で、 
現在肺移植を希望して待っている登録患者の数は約120人。順番がまわってくるスピードはそれこそ神頼み。いつ急に悪化するか分からない僕の病気は、早いうちに、それこそ今にでも登録しておいた方がいいらしい。急性悪化してからの登録では、順番が回ってくるまで命がもつ保証がないのだ。そしてまた移植する体も、元気なうちに手術した方が、もちろん体力もあるし成功率も高いらしい。らしい、らしい・・・ってそればっかりだけどさ。先生も過去の数少ないデータからしか話が出来ないから、あなたの場合はこうです!ってはっきり言える要素はないんだよね。(肺の脳死移植自体、まだ日本では30件弱。) 

そして僕は、とりあえず移植登録のための検査入院をすることになり、今年の4月末に一週間入院した。その結果、やはり病状はちょっとずつ悪化していて息を吐き出す力なんて人の半分くらいなのだそうだ。まずは検査結果を大学病院内で審議にかけ、移植登録すべき患者であると診断されたら今度は中央(全国)での審議にかけられる。それが通って初めて「移植を待つ患者」になるのだ。そして今は、大学病院内で審議の結果を待っている段階。 

正確に書くと、検査入院のあとに移植のためのインフォームドコンセントを受け、内科的治療でまだ試していない薬もあるのでは?と言われ、春から薬を代えてしばらく様子を見ている段階。そして秋には平行して副鼻腔炎の手術もする予定。僕の鼻はいわゆる蓄膿症で、肺にいる菌が鼻の奥にもいる。その菌が喉を伝って肺に落ちてくるので、鼻の奥も綺麗にしておいた方がイイのだそうだ。それらをすべて試してみて、それでも病状に変化がなければ、正式に審議にかけて登録への手順を踏む。 

審議の結果、ゴーが出ても、ノーと言われても、実はまだ、どう反応していいかわからない。喜ぶべきなのか、ガッカリするべきなのか。自分が生きるために、人の死を待つしかない「移植」という後ろ向きな医療。移植は医療ではない、という医者もいるくらいだし。いろんな医者の意見を聞きたくて、セカンドオピニオンも沢山受けた。どこの医者も、診断結果は一緒だったけど。今の処方で現状維持出来ればそれが一番だけど、ゆるやかに進行しているのも事実。もしものために移植を考えておいた方がイイのではないか?・・・と。 

でも。 

僕の中では、生まれ持ったこの体だけで、死ぬまで精一杯生きればそれでいいんじゃない?そっちの方が生き物として自然じゃないの?・・・っていう気持ちの方が、実は今は少し強いかも知れない。だけど一方で、大切な家族や大好きな友人と、出来る限り同じ時間を一緒に笑って楽しく過ごしたい、時間は出来るだけ欲しい、という想いももちろんある。今まで漠然と思い描いていた、自分や家族や友人が歳をとっていく姿やまだ見ぬ自分の子供が成長する姿など。それらが奪われるのはやっぱりイヤで・・・。 

何がよくて何が悪いのか分からないコトだらけだけどね。でもやっぱり普通に長生きはしたいし。なので、これからの未来のために今出来ることは全部しておきたいと思う。 

そして、きっと。

近い将来、移植の登録もすると思う。実際「肺移植」をする・しないの判断は、もう少し先まで引きずりながらね。好きな人たちとずっと一緒にいたい。その思いだけで、けっこう踏ん張れるもんだ。 

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はぁ、全部書いちゃったや。 
でもすっきりした。 

ここまで全部読んでくれたあなた、どうもありがとうございます。読んでくれただけで嬉しいです。そしてこれを書いたからといって、周りの人には特にこれといって望みはしません。今まで通りのお付き合いをお願いします。 

この文章を書いたのも、誰かにどうこうして欲しいからではなくて、ただ単にみんなに知っておいてもらったらそれだけで頼もしいよなぁって思ってのコトなので。もちろん悲劇の主人公ぶるつもりも毛頭ないです。今の病状を憂いて悲しんでるワケじゃなくてね、「こんな僕だけど今まで通りよろしくねー!」って気持ち。 

あ、でも少し甘えさせてもらうなら、一緒に歩く時は出来るだけゆっくりでお願いします。そして階段のそばにエスカレーターやエレベーターがあったら、一緒にそっちを使ってくれると少し嬉しいです。それから、もし喫煙席と禁煙席が選べる場所があったら、 
禁煙席だとちょっと嬉しいです。あと、最後にちょっとだけ、移植やドナーについて考えてもらえたら、それはけっこう嬉しいかなぁ。

え? 

望み過ぎ?(笑)

 2006年8月15日

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2007.11.4 追記  

肺移植の登録は今年の1月に受理されました。 
現在120番台後半あたりで移植待機中です。 
(移植をするかどうかはまだ決めていません)

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2009.11.11 追記  

2008年の年末、急に病状が悪化し、
登録していた脳死肺移植が間に合わず、
2009年1月6日に生体肺移植を受けました。
現在は大きな問題もなく元気に生活しています。

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