アンネの日記、戦争、アメリカとロシア

 小学生の頃、祖母と駅前にある本屋さんに行った。偶然『アンネの日記』が目に入る。パラパラ立ち読みすると一気に引き込まれ買ってもらおうとしたが祖母は読まない方が良いと言って買わなかった。次の日も立ち読みしに行ったのだか、結局買ってもらったのか、自分の親に買ってもらったのか、とにかく何らかの方法で読んだ。アウシュヴィッツやホロコーストを知らない年齢だったのでショックを受けた。
 当時私が受けた小学校教育で戦争について日本は被害者とされた。広島も長崎も1945年8月15日が意味するものも、B29が日本を攻撃した爆撃機の名前だとも知っているのに、私は加害の歴史を知らなかった。満州や樺太、従軍慰安婦、教科書に載ってはいただろう。けれど印象に残るのはキノコ雲の写真やはだしのゲン、火垂るの墓、ちいちゃんのかげおくり。戦争体験で語られるのは必ず被害者側の話だった。
 同じ頃夏休みの宿題でおじいちゃんおばあちゃんに戦争体験を聞きましょうと言われた。忘れてはいけない記憶を自分が引き継ぐらしい。母はおじいちゃんに戦争についてあまり聞いてはいけないと言った。話したくないことがあるかもしれないと。それは私からすれば被害の記憶のはずだった。食べ物がなかったとか近所の誰かがアメリカの攻撃で死んだとか。学校で習う語り手は時に涙ながらに辛かったと、あんなひどいことを繰り返してはいけないと言う。もちろん祖父も同じことを語るだろうと思った。だが彼は違った。馬はね、こう撫でるといいよと手つきを見せる。戦争で馬に乗る?軍馬という言葉も知らない。想定外の答えだ。私は飲み込めずにいた。祖父は馬は賢い、乗るときにはこうしたら良い、と馬についてだけ話した。私が馬に乗る機会は当時も今もないのに。つまり彼は何も語らなかった。それが全てだった。おじいちゃんはどこで一体何をしていたの?と私は尋ねられなかった。祖母は爆弾を作っていたと言った。その爆弾はその後どうなったの?とも尋ねられなかった。祖母はおじいちゃんはポツダム宣言の日に海外にいて、-国名は当時聞いたはずだが忘れてしまった- そんなことも知らずにとぼとぼ歩いてたのよ!と言った。そこからどうやって祖父が日本に戻り生活していったのか。その日まで何故生き延びることができたのか。そのために一体何をしたのか。知るべきは語られなかったことだと思った。「忘れてはいけない記憶」があるとするなら被害側のものだけではないだろう。
 アンネの日記で本当に大切なのはゲシュタポに連行されてからの記述がないことで、それこそが知らなければいけない事実のはずだった。今生きている人間は全員当時命を落とさなかった側の子孫なのだ。なのに何故被害の記憶ばかりを語り継ごうとするのだろう。2021年3月、プーチン大統領はアメリカに対し「米国は広島と長崎に核兵器を使った。これは軍事的には全く無意味で民間人の虐殺だった」と言ったらしい。もしこの発言を小学生の頃に聞いていたらきっと今とは違う自分の未来があったと思う。歴史に関してAはAであるとかBはBではないだとか断言できないことばかりだが、アメリカを憎むようには教えられなかった。私はナチスドイツでホロコーストがなかったなんて思わない。だけど韓国でハルモニが搾取されてきた歴史を声高に叫ぶ気にはなれない。BTSのメンバーが原爆の写真が描かれたTシャツを着ていたことは快く思わない。でもどうして日本人は従軍慰安婦の問題について取り組まないのかと聞かれても、知識がほとんどないからと答えるほかなかった。

 何故自分は大学の卒論でスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』をテーマにしたのか。大学で英語を学ぼうとしたこと、第二外国語としてフランス語を選んだこと、英検やTOEICを受けたこと、アメリカやイギリスの映画やドラマを見ていたこと、中学の義務教育で英語を習ったこと。ハリーポッターやトム・ソーヤの冒険を知っているのにロシアや中国の文学を今も一つも読んでいないこと。すべてが自ら選んだ選択のように思っていたのに実際は違ったのではないだろうか。何故私の摂取できるワクチンはファイザーやモデルナだったのか。ユダヤ人の迫害をひどい、してはいけないと分かっているのに、何故今ユニクロを着られるのか。ウイグル族だったら良いのだろうか。私が731部隊を知ったのはアウシュヴィッツを知った随分後のことである。過去の惨劇に心を痛めるくせに何故現在進行形で起きている事柄にも自国についても目を向けないのか。

 2022年2月24日、ロシアはウクライナへ軍事侵攻を始めた。
ヤフーニュースをぼんやり眺めているとあるウクライナ人夫婦の写真記事が掲載されていた。隣国へ逃げる妻、彼女は泣いている、夫は抱きしめながら別れを惜しみ、戦闘へ向かうのだという。ああ、ロシアはひどい、戦争反対、と思うのは簡単だ。私がそう思わなかったのは、何故この記事がわざわざ日本語に訳されて報じられているのか分からなかったからだ。ツイッターやインスタグラムでフォローしている人達の中に戦争反対を叫ぶ人がいた。戦争反対。当たり前の価値観だろう。まるで自分が戦争に賛成したことなどないかのように叫んでいる。ならば聞きたいことがたくさんある。
「世界」とか「国際社会」って具体的にどの国?G7がそれ?
2001年9月11日同時多発テロをきっかけに始まった戦争が2021年9月まで続いたことをどう思う?むしろ知っていたか。現代で戦争が起こるなんて、と言っている人もいたが。2001年から今まで、今日のロシアに対する熱量と同じように戦争反対と思っていたのか。相手がテロ組織なら正当化されるのか。ロシアがウクライナの「軍事施設」を攻撃することと何が違うのか。パールハーバーと9.11の何が違うのか。タリバンやアルカイダと、ウクライナの何が違うのか。同じ人間だろう。プーチン大統領のテレビ演説の内容を知っているか。ロシア国民はウクライナ侵攻に反対しているのか、あるいはいつかのアメリカのようにテロに屈しないというのか。ウクライナの大統領が国民に防衛参加を呼びかけるのは何故か。貸すと言っている武器はどこの国から買ったものなのか。ウクライナが今抗戦を呼びかけるのは勝つためではないだろう。勝てるはずなどないのだから。ウクライナ軍が国のためにロシア軍と戦うことはウクライナの死者数のカウントにしかならないのに。それが増えるほど誰かがロシアを非難しやすくする。
 2月24日まで自動的に入ってくる情報はあやふやなものばかりだった。バイデン大統領がロシアが、ロシアが、と発言し(まるでダチョウ倶楽部のギャグみたいに)、岸田首相はさしたる発言をせず、アメリカが代わりに述べているようだった。日本国内の世論はプーチンが突然意味のわからないことを言い出し2つの国の独立を承認しウクライナへ攻撃を始めた!なんてひどいこと!というのが印象だった。だけどプーチンの演説を和訳した物好きな人がいたので(物好きな人がいなければ私はプーチンの言い分を理解できない)読むと、プーチンはプーチンなりの理論を述べてはいるようだった。それがジョージ・W・ブッシュの言い分と何が違うのか私には分からない。最も恐ろしいと感じたのは自分が分からない、ということだった。発言者がバイデンや制裁を科す側のものばかりでプーチンの長い説明は意味の分からないものとされた。もしも世界平和を望むなら両者の言い分は対等に耳に入るべきだ。
 自分が日本に生まれ育ったこと、米軍基地のあること、第二次世界大戦で負けたこと。無意識のうちに自分がアメリカ寄りの思想を持っていること/持たされてきたこと、昨日まで私が思い描いていた世界平和はきっとアメリカの勝利を指すものだったこと。”NO WAR”や”STOP WAR”と掲げる人が私のSNSにもいるが、その言葉自体『英語である』ことをどのくらいの人が自覚しているのだろう。戦争をやめろというなら国内の米軍基地はどうする?もし撤収した場合アメリカではない国がくるだけだと私は思うが、そう望む?もちろん私はウクライナ侵攻を支持しない。でも人類は今までも今もこれからも戦争をすると思う。日本を含むあらゆる国が無条件に兵器を手放すことはない。戦争をしないなんて、そんなことできると思う?

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