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劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンはテレビ版視聴済なら鑑賞を義務付けた方が良い傑作

壮絶なネタバレ込みの感想になります。ご注意ください。




 9月18日に公開された「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」、私もようやく観に行くことができたのですが、その圧倒的な感情の渦に巻き込まれてnoteに書かずにいられなくなり、筆を執っています。
 本作は京アニ事件以後の初の劇場作品となり、その意味でも注目度は高かったのですが、私はあのテレビ版の出来を映画館で観れるのなら観ない選択肢はない、という気持ちで臨みました。テレビ版でも泣いた私が劇場版でも泣くことは必然なので、ハンカチを持っていこうとしたら忘れ、その時点で泣きそうになりましたが、堪えて館内へ。以下、感想になります。

1.この映画は3つの軸で構成されている

 今作の話は3つの軸で進んでいきます。1つ目はテレビ版第10話の50年後まで子を想う一家のひ孫(代筆依頼の母から見て)のデイジーがメインです。いや、冒頭の家を見た瞬間、「あっ!あの家だ!」ってなりましたね。そして話を聞くとどうやらアン(代筆依頼の娘)が亡くなったということで、少なくともあれから6,70年は経過しているようです。アンが大事にしていた50年分の手紙、そしてそれを書いたのがヴァイオレットということを知ったデイジーはヴァイオレットを知りたくなりライデンへ向かいます。
 あの50年分の愛を詰め込んだ母娘だ!ってなって冒頭3分で既に泣きました。だってあの10話が私的に一番感動して一番泣いた回ですからね。一番心を動かされた話を回想形式で流されたらそりゃ泣きますよ。
 2つ目の軸はライデンで余命幾許の少年ユリスとその家族、そして親友リュカの話。劇中の依頼話としてはこちらがメインになります。不器用で直接感謝を伝えられないユリスが自分が死んだ後に渡してほしい手紙をヴァイオレットに依頼します。いや、この話単独でもめちゃくちゃ感動したのに更にブーデンビリア兄弟やらギルベルトとヴァイオレットやら関係各所を彷彿させる内容に感情が爆発。感動ランキングはテレビ版10話と同列で1位になりました。
 3つ目はもちろんヴァイオレットとギルベルト。テレビ版でも劇場版でも頑なに「死んだ」ことを明確にせず公言もせずここまで来たらそりゃ生きてるわな、とは思いますが、思いますが!それでもその考えすら越えてきたヴァイオレットの愛と感情が涙を誘います。

2. 「エモい」ではなく「感動した」

 ユリスの遺書手紙作成はデイジー一家の50年分の手紙と同じような境遇、死にゆく者が遺す家族への手紙。家族への手紙を書き終えた時点では「ああ、死にそうだなぁ」くらいだったのですが、いざ危篤状態に陥り、リュカへの手紙をアイリスが代筆しようとし、出来ず、電話で想いを伝えるという場面は涙が流れっぱなしでした。もう僅かな命のユリスが、「ごめん」「ありがとう」と、リュカに電話越しに涙を流しながら伝える様は死にゆく者が遺す最期の輝きを見てるようで、見ていることしかできない我々は唯々涙を流すことしかできなくて……。そして想いを伝えることができたのが、ドールの役割を取って食おうとする電話というのがまたにくいですね。代筆まではできないが、声を発せるのであれば電話越しに想いを伝えられる。時代とともに移り行く想いの伝え方の変遷を感じつつ、ユリスは亡くなります。
 最近Vtuberをよく見ているので「エモい」を使いがちになりますが、この作品は違う。「感動した」です。エモいとは違う、心を震わせる、人間として感情が爆発する思いを表すのは「感動した」です。

3.ギルベルト、お前が望んだヴァイオレットは目の前にいるぞ

 一方ヴァイオレットは、ギルベルトが代筆した手紙から居場所を特定したホッジンズと共にギルベルトの元に向かうが、彼はヴァイオレットを拒絶。ヴァイオレットを引き取ったばかりに彼女は戦争に参加し、両腕をなくし、あんな境遇にさせてしまったという自責の念も込みで彼女から遠ざかろうとしますが、そんなものは「大馬鹿野郎!!」とホッジンズも叫んでいる通りです。ギルベルトは「あの時」から時間が止まってしまってヴァイオレットに対しても悲観的な感情になっていますが、ヴァイオレットはその後、残った足で自分で立って、もらった腕で縁を手繰り寄せ、一歩ずつ前へ歩いていきました。だから今の彼女を知る我々やホッジンズからしたら「お前が望んだヴァイオレットの幸せは、時間はかかったが今!こうして!感情を知り!愛を知り!人間として生きているんだよおお!!!」と歯がゆい思いになりました。こうした中で先述のユリス危篤の報が入り、離島からモールス信号(こちらも手紙に代わる通信手段)伝手にリュカへの伝達、そして手紙の受領を確認。その際、嵐にもかかわらずライデンに戻ると言うヴァイオレット。ユリスと指切りしたから。約束をしたからという強い意志を持って手が届きそうなギルベルトを目の前にしても、それでもライデンへ帰るという意思。もはや彼女の中はギルベルトだけではない、出会った無数の人々が存在し、そして彼女を形成しています。その後、手紙を書いてギルベルトに対して踏ん切りをつけようとするヴァイオレットですが、その最後に書いた手紙をギルベルトが読んで、ようやく彼女の想いに気付きました。出港した船に対して叫ぶギルベルト。当然の如く気づくヴァイオレットは海に飛び込み島へ戻ります。もはや船から飛び降りて泳いで島に戻るのはヴァイオレットだからの一言で破綻しません。だってヴァイオレットだから。止まっていた男が動き出し、感情を、愛を知った女が今度は立ち止まる。ギルベルトからはっきりと愛していると言われ、感情が爆発し何を言っていいのか分からず混乱して涙を流し続けるヴァイオレットの描写が素晴らしく美しい。
 美しい京アニ映画であえて画を褒めるとしたら今作はヴァイオレットの表情の豊かさを褒めたい。あの種類多い泣き顔はパッと見ただけでどういう感情なのか、どういう思いなのかがすぐ分かりました。ギルベルトから拒絶された時の純粋に悲しい顔、ギルベルトと再会して感情が混ざった顔。そしてディートフリードでさえ気づくギルベルトへの想いの強さ。それを今作は存分に拝むことができて感謝です。

4.時が経っても手紙は生き続ける

 そして時は流れてデイジーはヴァイオレットの軌跡を辿り、彼女自身も両親に手紙を書きます。口では言えないけど、手紙なら伝えられる。現代でも同じですね。文字に起こすことによって伝えられる気持ちもある。今、まさにこの私のように。50年分の手紙を届けた一家の末裔がこうして手紙に帰結するのもいいですよね。そして切手になるヴァイオレットは本当にあの時代の偉人レベルの貢献度ですね。確かに政府や著名人関係の仕事多かったですからね。ただ島に移ってから島限定の切手になっているということなので、恐らく島でもかなりお手伝いをしたのでしょう。手紙に必須な切手に自身がなるというのは、いつまでも手紙を届けられるという周りの思いも込められているのでしょう。

5.結論、テレビ視聴済なら絶対に鑑賞した方がいい

 よくアニメの劇場版は特別編であったり、後日談であったり、総集編であったりとそこまで絶対に見なくてもよい構成になっていることが多々ありますが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンは絶対に観た方がいいです。新たな依頼者エピソードもあるのもそうですが、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品を完結まで見たいという人はこちらを観て是非作品読了として凄い余韻に浸ってください。損は絶対にしません。あと観に行く際はハンカチをお持ちください。



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