うちのひとりっ子。わが子の「ごめんなさい」の理由について考えてみた。

うちの息子、中学2年生。
ほんま、ええ子やと思う。
今日も、帰宅して、母の私が夕飯の支度をしている横で、お弁当箱をだしてきて自分で洗ってはった。
「お弁当箱、洗って」て、言ったことはない。
夜には自らお風呂のお湯はってくれるし、塾の宿題もとりあえずやっていくし、まだ「くそばばあ!」とかも言ったことないし。
いや、ほんと、良い子なほうやと思う。


でも、
今日持って帰ってきた学期末のテストの点数はわるかった!

天才だとは思ってないけどよ、それでええんか!ていう点数。

いや、わが子のことはわからんなぁ、と思って。
どんなベテランな教師やってた人も、自分の子供のこと話はるとき「自分の子はわからないもんで」とよく言ってはったのは記憶に山ほどあるけど、「んなこたぁないだろ」とは思ってたわ。

でも、自分が、この歳で中学生男児の母になって、
今までの経験はなんだったんだ?
と、思う。
私は、教師はしてないけど、家庭教師やら塾の講師やら、友達の子供を読んで教えたり、ボランティアの塾の先生やったりしてきた。
いろーーーんな生徒がいて、その折々に、それぞれの出していく結果に、
その子に合う形を考えて、言葉もかけた。(つもり)
悪い点数を取ってきたときは、怒ることの効果も考えたし、なにより、お金もらってるときは、教えてるこっちが不甲斐ないわけで「親御さんにお金いただいてるのに(;'∀')」と、こっちが、ごめんなさい、て気持ちだった。

今日息子は、帰宅して、お弁当を洗いながら
数学の点数を私に言って(この中で最低点かつ過去最低点更新)
そのあとに、国語と英語の点数を言って(過去最低点更新)
最後に理科の点数を言った(この中では最高得点)

お手伝いしながらこの順番でね。ない脳みそで順番考えたんか?素でできた技か? 

わたし、怒ってないで。
ふーん、平均点は?って、聞いただけ。
なのに、息子、
「ごめんなさい」と、言った。←やっとここで本題が登場。

そういえば、ボランティアで教えてた時、中学生の男の子にも言われたことがあるな、テストの結果が悪かったとき、「ごめんなさい」て。
ボランティアで私の貴重な時間を使わせたのに、無料で教えてもらったのに、こんな点数で、結果を出せなくてがっかりさせて、ごめんなさい、ということだろうと理解した。
でも、いま、わたし息子の勉強をいま教えてるわけではないしな。
息子のごめんは、「期待」という、私の愛情に応えられなかった、と思っての「ごめんなさい」か?

いや。。。
能天気浮かれポンチ息子、そんな深く考えちゃぁいねーーはずだ。。。

のび太がママに「ごめんなさーい!」って言ってるのは、0点とったからじゃなくて、0点のテストを隠したからだ、と思ってたんだけど。
ちゃうな。
あれ、隠してた0点のテストがみつかる→勉強してないことがバレる→「ごめんなさーい」

のび太のごめんなさい、を考えてみたら、
わが子のごめんなさい、の意味もわかったわ。

あいつ、まじめにテスト勉強してなかったんだな。

息子の「ごめんなさい」は、びっくりするほど速攻、口から出ることが多い。

なんなら私が怒る前に、「ごめんなさい!」ゆーとる。

だから、息子の謝罪は、私がよくよく考えて受け取らねばならない。(と、思っている)

今日のごめんは、そのうちバレるから怒られる前にごめんなさい、であって、私の怒るかもしれない行動に対しての抑制希望の困った謝罪。 決して、我が行動を反省し、繰り返さず、己を向上させるから、がっかりさせてごめん、という、私の心に対しての労りの謝罪ではない。(労り+決意まで込めた謝罪は理想でしかないが)

そもそも、男の子、いや、男性、男という生き物のごめんなさい、なんて、ほんま、まともなんは聞いたことがないかもしれんな。

あやまれると、私ゃあんたの親か、教師か?とさえ、思うとこが多かった気がするわ

よーするに、男という生き物は謝罪が下手なのだ。ごめん、の一言に、重みを加えることができる技を持ち合わせておらん。言葉に何かを込めることより、その言葉を出すときのタイミングやしぐさ、もしくはもう、それを言える立場にある存在として、許される生き物で、ごめんなさい、に、許されるだけの価値を付加させて口から出すことはできないんだろぅ。

息子も、もれなく、そのように育っておるわ。

私が、この、息子のごめんなさいの意味を深く問いたださない限り、嵐は起きないし、我が家は平和なのだ。

しかし、

謝罪の言葉を出してもそんなもんでしかあり得ないのに、ごめんの言葉すら口から出さない男は、存在自体価値がべらぼーーーにない限り(推し級のイケメンとか、財閥ボン並の財産あるとか)もはや、必要とされる、とか、愛される対象ではなくなるだろう。

なので、

この、息子の口からさっさと飛び出す「ごめんなさい」を、私は母として守ってやる必要があるな。 息子の将来のためにも、そして、息子の存在を認めてくれる未来のパートナーのためにも。

そうして、

こうして、息子の、超軽い「ごめんなさい」は、今日も無事にわたしに受諾される、「よかった、怒られんかった、これは効いた!」と、いう息子の成功体験として。

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