毎秒人生の岐路
写真を撮る文化がないので前回の3回目の投稿時点でストックが切れてた話。
人生における大きな転換期ってあると思うんですよ。意図せずともずっと記憶から消えない選択をしたタイミングみたいなのが。それはそうとして、じゃあそれ以外の選択をした瞬間ってどうなんだって。僕は「考えることをやめたら人間の成長は終わる」と思っていて、基本的にもう無意識的に考える癖がついてるんですけど、色んな事柄に分岐を増やしていくってことが多くあります。まぁ人生は選択の連続だなんて言いますし、ある1つの事柄に対して、「選ぶ」「選ばない」の選択ができるわけですよ。選んだ場合はどうなるのか、その先でまた何かを「選ぶ」「選ばない」ってなっていくんですね。
基本的に人間ってどっちの選択をしても、「あっちにしておけばよかった」って思うじゃないですか。こればっかりはどうしようもないんですけど。しかも人生における選択の正解なんて誰にもわからんことで、だからこそ「自分が選んだ選択肢を正解にする」という意識って結構大事なのかなって思います。
ここでタイトルに戻ると、人生において選択という行為は無数に起こっていて、その選択を正しくしようとするのであれば、そのすべてが人生の岐路と言えるのではないかなと。ゆえに毎秒人生の岐路としたわけですね。結構語感がいいしね。
でも、これのせいで人生ってものを重く感じないでほしくて。それこそ、その1秒があれば人生を終えることなんて簡単なわけで。それくらい人生ってあっけないものなので、どうせなら悪いよりは良くあってほしいじゃんって。そこでさっきみたいなマインドを1つ仕入れておけば、それこそ人生で取れる選択肢自体が増えるかもしれんよね。対人でもなんでも数は武器ですから。
自分に取り入れるかはどうでもよくて、そういう考え方があるのかってことを知ることが大事で。さらに言えば、それについて何かを考えることがもっといい効果があるんじゃないか。そう、いい効果があるようにしていくんだよね。
こうして気づけば1周してきてるような、ちょっと混乱してくるような考え方をすることで、自分を騙してまだ生きててもいいかって思い込むようにしてるってわけ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?