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ポジティブを創り、運び届けるために「株式会社こめだわら」を設立しました!

2024年5月15日。
『株式会社こめだわら』を設立しました!

こめだわらは、「ポジティブを創る。ポジティブを届ける。」をミッションにした会社です。

直近取り組む事業は、ふたつ。

ひとつは、これまで約2年弱、個人事業主として向き合ってきた、クライアントさまの事業フェーズや課題に合わせた広報PRを軸にした伴走事業。
もうひとつは、米糀あまざけ『KOMEGY(コメジー)』の企画・販売事業です。

このnoteでは、改めてわたしの自己紹介と、会社をたてた背景についてお話したいと思います。よければ、お付き合いください🌾

会社設立の背景

仲間と一緒に全力でぶつかり合いながら笑い合う日々

改めて、自己紹介をしたいと思います。1992年、東京都立川市生まれ・育ち。家系は、鹿児島県長島町🐟いまは、旦那と神奈川でふたり暮らし。

大学は、早稲田大学文学部を2016年に卒業しています。高校現役時代、思うような結果が出なかったのですが、どうしても早稲田での大学生活を諦められず、一年間、勉強漬けの浪人生活を経て、入学することができました。

在学中は、2日間開催で約20万人もの来場者(1日あたり、ディズニーランドの来園者より多い)が訪れる早稲田祭を運営するサークルに所属していました。中学・高校時代から変わらずなのですが、学園祭当日に向けて、仲間と一緒に全力でぶつかり合いながら、笑い合いながら準備を進めていく日々がすごく好きで。

キャンパスの開館から閉館まで籠もりながら、時にはマクドナルドで始発の電車がくるのを待ちながら…。当時の自分たちが信じる未来に向けて、アツくもがいていた時間はまさに青春だったなぁと思います。

約600名が在籍する大きい大所帯サークルでした

就活の時期、やりたいことは特に決まってはいませんでしたが、「仕事いやだなぁ」とグチる電車内の目の死んだ大人にはなりたくないなという思いだけは抱いていました。

学園祭の準備期のように、心から熱中できる仕事がしたい。

そんな思いを抱えている中で、偶然出会えたサイバーエージェント。出会う社員さん全員が、アツい気持ちで仕事に打ち込む姿に惹かれました。

「あなたはマクアケにはいけません」

特に、マクアケの坊垣さんの影響は大きかったです。やりたいことが決まっていないことに焦る私に対して、こんな言葉をかけていただきました。

「大学生活のたった4年間の経験で社会に出てやりたいことを定めることの方が難しい。だったら、やりたいことができたときに120%の力で取り組んでいけるように、成長できる環境に身を置く選択肢もいいんじゃないかな。私はそうしたよ」

それを聞いて、「なるほど!ここで働きたい!」と思い、採用面接に進み、無事、内定をもらうことができました。

当時はサイバーエージェントの子会社だったマクアケで内定者バイトをさせてもらっていたのですが、これが楽しくて楽しくて!

配属希望ももちろんマクアケで出しました。ただ、「マクアケにいけるのはせいぜい1人」と、面談の一番最初に言われました。

その時、関西支社を立ち上げた同期である菊地の入社がほぼ決まっていたので、私には「あなたはマクアケにはいけません」と言われたようなもの。そんなことを言われた動揺もあり、伝えたいことを1ミリも伝えられなかった面談。

悔しくて、悲しくて。

そんな私を気にかけてくれた、面談を担当してくれた当時のCA役員が特別に時間を割いてくださり、そこで改めてマクアケで働きたい旨を伝えることができました。

「最後に言っておきたいことある?」という質問にも、「マクアケで働きたいです」とだけ。これでダメだったら本当にご縁がなかったんだろうなと思っていました。

そんなことがあったので、配属発表で自分の名前を呼ばれた時は本当にうれしくてうれしくて。配属発表時、号泣していたのは、同期の中で私だけだったと思います。

右肩上がりに成長していくフェーズを体感

入社当時、「クラウドファンディング」自体の認知度もまだまだで、会社の人数規模も20名ほどでした。

まさに“スタートアップ”という感じで、足りないことだらけの中でやるべきこと、求められることに愚直に向き合いながら、右肩上がりに成長していくフェーズを体感することができました。

そんながむしゃらな日々を過ごす社会人2年目の冬、プロジェクト実行者へ伴走する広報PRをやらないか?と声をかけてもらい、広報PRパーソンへの道を歩み始めました。

担当者として伴走させてもらったプロジェクトの正確な数はわかりませんが、軽く500件は超えているかと思います。うまくいかないことや壁にぶつかることもたくさんありましたが、熱意をもって新たな挑戦に向かっていくプロジェクト実行者のみなさんの側で伴走させてもらえる環境での体験はとても貴重な財産になりました。

学生時代は、早稲田祭を運営するサークルでリーダー格で動いていたこともあり、根拠のない自信とプライドに身を包んでいました。しかし入社後、成果が出ないことが続いても、自分の足りないところは見ないふり。どこか環境のせいや人のせいにしているところがありました。

そんな時に『自分の小さな箱から脱出する方法』という本を読み、”自己欺瞞”という箱の中にすっぽり入り込んでいる自分を自覚しました。

箱に入ることの多い私だからこそ、箱の存在をしっかり意識して箱から出る努力を忘れないでいよう。

そう決意して、がむしゃらに取り組んだ結果、事業につながる成果を残すことができ、それを全社MVP受賞という形で認めてもらえた時、自然と涙が溢れました。

マクアケで約5年間。

社員数も調達金額も何倍にも成長し、上場という貴重な機会も経験させてもらうことができました。達成感から涙を流せるほどの仕事は、なかなか無いよなぁと。改めてありがたい環境にいたことを実感します。

多彩な実行者の伴走者であることは本当に楽しかったのですが、Makuakeのサービスフェーズが、0→1・1→10フェーズを超えてきたと感じたこと、そして、ものづくりや事業づくりにもっともっと解像度高く関わりたくなったことから、マクアケを卒業することを決意しました。

ものづくりをする人たちの熱意やクラフトマンシップを間近に感じて

その後、3ヶ月間のキャリアブレイクをはさみ、北海道にある日本酒蔵・上川大雪酒造に転職しました。(転職背景の詳細はこちら

上川大雪酒造は、2017年に新設したばかりの日本酒蔵。新設時、Makuakeでプロジェクトを実施してもらったところから、ご縁がつながっていきました。

基本的に日本酒(清酒)の新規製造免許は発行されないのですが、過去、誰もトライしたことのなかった、酒蔵の遠隔移転という方法で北海道の大地に新たな酒蔵を生み出した上川大雪酒造。パイオニア精神あふれた行動力。そして、代表の「イノベーションを起こす」という言葉に惹かれ、白銀の世界の中で、入社することを決意しました。

在籍期間中、新しい酒蔵の建設、大学との連携、食品ブランドの立ち上げやオリジナルアクセサリーの企画・販売…など、濃厚な時間を過ごさせてもらうことができました。

ものづくりをする人たちの熱意やクラフトマンシップを間近に感じながら、日本酒が有する伝統文化や発酵の魅力にも気づかせてもらうことができました。

ただ、社会人になってからぼんやりと抱いていた「いつか独立したい」という気持ちが、少しずつ膨らんでいくようになっていました。

たくさんのご縁に恵まれ、フリーランスの道へ

そして、2022年2月、フリーランスとして独立。

不安が全くなかったかというと嘘になりますが、YOUTRUSTでスカウトをもらえていたり、知り合いづてに手伝ってほしいと声をかけてもらっていたこともあり、思い切ってフリーランスの道を歩んでみること決めました。

それから広報PRを軸に、事業フェーズや課題に合わせて、柔軟に動いてきました。ありがたいことにたくさんのご縁に恵まれて、楽しく充実した時間を過ごさせてもらっています。

また先日、マクアケ時代、実行者さんと対峙する中で抱くようになった「商品づくりにチャレンジしてみたい」という想いが募りに募り、オリジナルの米糀あまざけ「KOMEGY(コメジー)」の企画&販売をスタートいたしました。広報PRパーソンが、なぜものづくりを始めたのか…というお話はまた別のnoteで詳しく綴ろうと思います。

(※最近、このKOMEGYに関して、どこかのクライアントさんの案件でやっているのかと思っていた、と言われることがあるのですが、完全にひとりプロジェクトとして製造パートナーさんのご協力のもと、取り組んでいるものになります!)

当事者“立場”と当事者“意識”のギャップを埋めたかった

さて、こんな私がなぜ、会社を設立しようと思うに至ったか。
シンプルに理由はひとつだけ、ではなく、いろんな要素が絡み合った結果…にはなるので、その要素を少しだけ。

ひとつは、もっと経営目線をもった広報PRパーソンになりたいと思ったこと。

組織の規模やフェーズ、経営者によって、広報PRに求められる業務やそれを実施する目的は変わってきます。ただ、最上段にあるブレない目的は、事業成長に寄与するということ。(ここでいう目的とは経営理念やビジョンとは別ものです)

その目的に合わせて、広報PRとしてはどんな目的をセットするか、どんな手段をとるかを練っていく。その際、俯瞰して見たときに、広報PRにとらわれすぎず、その先の目的である事業成長へ最も貢献できる選択をとれるようになりたい。

いち“広報担当者”ではなく、本当の意味で経営目線を持って、事業に対峙できるようになりたい。

やはり、当事者”立場”で対峙するのと、当事者”意識”をもって対峙するのでは、100%は埋めきれないものがあるように思います。(まずは、意識をもつことが大事ではありますが、なかなか難易度が高い…!)

この差をできるだけゼロにしていきたい。そんな想いが募っていきました。

自分のやりたい!に、もっと素直になりたくなった

もうひとつの理由は、個人的な人生観、価値観からです。普段、こういった類の価値観を表現することはあまりないのですが、せっかくの節目なので、出してみたいと思います。

「やらない後悔より、やった経験」という言葉が好きです。「DIE WITH ZERO」の概念が好きです。

毎日を全力で生き、できるだけ後悔なく死にたい。

私は、6歳上の姉とふたり姉妹。年齢が離れた末っ子だったせいか、「ゆうはこれからなんでもできていいね」「ゆうの年齢の時に、こうしておけばよかった」という言葉をかけられることが多くありました。

その言葉たちが放っていたネガティブな雰囲気に、幼い頃から違和感を抱いていました。

一度きりの人生。そこに意味づけができるのは、自分だけの特権。私は、自分の好きな人たちと、できるだけごきげんな状態で生きていきたい。できるだけ後悔なく生きていきたい。

自分が感じた「やりたい!」に対し、世間体や嫌われる恐怖から蓋をするのではなく、素直でいられる自分でありたい

迷ったときはね
『どっちが正しいか』なんて考えちゃダメよ
日が暮れちゃうわ
頭でかんがえなきゃいいのよ
答えはもっと下
あなたのことなら
あなたの胸が知ってるもんよ
『どっちが楽しいか』で決めなさい」

引用:「宇宙兄弟」金子・シャロンより

頭で考えるのではなく、心で感じたワクワクに素直な選択がしたい。
そんな価値観から、会社を設立することに決めました。

社名「株式会社こめだわら」に込めた想い

「米俵」は古くから、日本人の主食であるお米を保管・運搬するための容器としての役割を果たしてきました。
​​お米はエネルギーの源です。つまり、米俵はエネルギーを運び届ける役割を有した器といえます。

株式会社こめだわらでも、そんな米俵のようにエネルギーを運び届ける役割を担いたい。特に、意志を持った前向きなエネルギーである「ポジティブ」を。

社会がポジティブで満たされるよう、米俵が持つような役割を担い、社会貢献していきたい。そう考え、社名に「こめだわら」を採用しました。

時には、ゼロからのブランドづくり・事業づくりを通してポジティブを創るところから。時には、クライアントさまが創り出したポジティブを運び届けることで。

どんなに小さなエネルギーでも、連鎖的につながることで大きな前進になる。だから、こめだわらはポジティブを創る。そして、届ける。

ポジティブな連鎖がうまれる社会を目指していきたいと考えています。

株式会社こめだわらのこれから

会社になったとはいえ、メンバーもいない状態なので、今までとそんなに変わらないとは思います。

引き続き、広報PR業務、米糀あまざけ『KOMEGY』の販売に邁進してまいります。

好きな人とワクワクすることに取り組む。これがしたくて、自営の道を歩んでいるという側面が強くあるので、ぜひ何かおもしろいことしよう〜!という方、一緒に取り組ませてもらえると嬉しいです。(こちらのポートフォリオに、細かい記載がありますので、よければご参考に。)

まだまだ未熟者ではありますが、
これからも林優と株式会社こめだわらをよろしくお願いいたします!


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