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メンターの話#7 【節目】

4月1日は新生活が始まる節目の日。

いつの間にか僕も社会人となる歳になり、周りからは「社会人おめでとう!」とお祝いのメッセージをもらうこともしばし。
だけど僕はこれといって節目となる日に気持ちを入れ替えたりすることがない。
自分の誕生日も、クリスマスも、元日も、バレンタインデーも、成人の日でさえ、その日に行われるイベントにはまともに参加した記憶がない。

それには理由がある。

「人と同じことをしたくない」

人が祝ったり、楽しんでいる時に違うことをしていることが昔からかっこいいと思っていた。
今でもその気持ちは変わっていないからこそ、周りと違う道に進んでいることがどこかかっこいいと思っている節もある。

だが周りが社会に羽ばたき、活躍して結果を残している姿を見て、今の自分の立ち位置を見てみると自分が一番かっこ悪く思えてくる。
自分はいつまでも子供のままで、自分がやりたいことを貫くために面倒くさいと思うことは全て避けてきた。

ただ、その避けてきたもの全てがいまブーメランのように自分に襲いかかってきている。薄々どこかで気づいていたものの、年齢のせいにして今まで見て見ぬふりをしていた。

自分はただ逃げているだけで、勝負せずに言い訳をしているだけ。

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そうして過ごして改めて周りを見渡すと、周りが大きく見えて自分が小さい存在に思えてくる。

もちろん、このまま同じように面倒くさいことをやらずに生きていくこともできる。
ただ、どこまでも情熱に溢れていて、純粋な気持ちを持っている洋々の受験生と話していると、自分がこのまま変わらないことが恥ずかしく思えてくる。

AO入試(総合型選抜)を受験する人は、
「人と同じことをしたくない」あるいは
「人と同じことをしてこなかった人」が多い。

僕もそのうちの1人であることは自覚しているし、誇りを持っている。
けれどもその反対に、普通を知らなければ、周りを知らなければ「同じではない」ことなどわからないのではないかと思うこともある。

ただ一方で、AO入試(総合型選抜)で大切なことは、

「自分のやりたいことを伝える」ということ。
それは人と比べてわかったものではなく、自分の内側から出てきたもの。

それが自ずと「個性」と言われるものとなり、情熱を持って志望理由書の形に落とし込んだり、自己PRとして消化する中で人に伝わるようになる。

今までは学生として、こうした思いを友だちにぶつけることで昇華された不満や思いが、社会人という節目を迎えたことでどう消し去ればよいものなのかが僕にはまだわからない。

僕は勝手に自分で「学生」と「社会人」という線引きを引きすぎているだけなのだろうか。
そして「社会人」であると胸を張って言えないことに対して負い目を感じているのだろうか。

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こうして考えてみると、節目に対してなぜ自分が嫌悪感を持っているのかがわかってきた。
他の人には絶対に負けたくないと思っているからだ。
反発をすることで自分が目立って存在意義を見出しているのだ。

けれどもそんな自分を冷静に見ている自分が現れるようになってきて、

新しい自分が昔の自分を脅かす存在になろうとしている。

そんなことが怖いから僕はずっと人と深く関わることを避けてきたのだろう。

さらにこの春の時期は花粉症を患っている者には地獄の期間。
僕はそれに加えて不運なことに気管支炎を患ってしまった。
こうした状況が重なってくると人はどんどん落ち込んでしまうのだろう。
節目と体調不良のダブルパンチである。

ただ、間違いなく節目となる時期にはこうしたことを考える機会が自ずと与えられているような気がする。だから人々はイベントや節目を作ったのだろうか。
大きな節目が訪れる度に僕は周りと馴染めないことへの恥ずかしさと苦しさを感じてきたが、もうそうは言っていられない年齢にもなってきた。
今までいた環境から甘えるのではなく、自分を変える機会だと思って少しづつ変えていきたいと思う。

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新入生の皆さま、入学おめでとうございます。
そして新入生になれなかった皆さま、
僕と一緒に小さな一歩を踏み出しましょう。

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