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メンターの話#9 【「教わる」ってどういうことかな】

私の隣の席には、高校3年間、
学年成績が常に1位のケント(仮名)が座っていた。

私はその友人と高校3年間、同じクラスで、彼のことをよく観察していた。
そこで、このようなことを考えるようになった。

“毎日同じ授業を受けて、同じ宿題をやっているのに、
学期末の成績を見ると成績が負けてしまう。
なぜ?”

高校3年間この疑問を考え続けてきたが、私の答えは記憶力や集中力、地道な努力といった、ありふれた答えだった。
そして、その答えを意識して、勉強に取り組んでいたのに、成果が出ていない。

もっと、「なぜ??」という思いがありふれた。

そんな、3年間の悩みを解決すべく、大学受験がひと段落した時に、
私は思い切って彼に「なぜ、ずっと1位なの??」と聞くと「いや、わからんよ」と言われた。
つまり、無意識のうちに彼の勉強スタイルの中で不動の1位の座を譲らなかったのだと分かった。

このことを通じて、彼の勉強スタイルをもう一度振り返ってみた。
でも、ケント君は同じように授業を受けて、同じぐらい演習して、同じぐらい遊んでいた。
やっぱり、僕との差はどこにあるのかわからない。

次に、私たち生徒を客観的に見てくださっている学年の先生に話しを聞いてみた。すると、口をそろえて「ケントは、よく質問くる」と仰っていた。
でも、私だって職員室に居座るほど質問をしていた。

少し、冷静になって「質問に行く」という行動を分解して考えてみる。

①先生の授業を聞く
②演習に取り組む
③テストを受ける

①と②の間、②と③の間、③の後のいずれかで質問をすると思うが、私だっていずれの間でも不明な箇所があれば、質問をしていた。

もう一回、このことを踏まえて学年の先生に話しを伺うと、
「ケントは、 ①のあとの質問の数がとても多い。君(筆者)の少なくとも二倍はその間で質問していたよ。」と仰った。

なるほど。
彼は授業の後のレスポンスが非常に早いようだ。

このことを踏まえて、もう一度、ケントに話を聞いてみた。
「ケントって授業のあとの質問の数、すごかったよね?!僕は、そんなに疑問点がなかったけど、いつも何を質問していたの??」と。

彼は、「授業中の分からなかったことはもちろんだけど、先生の教え方に関して、自分だったら、こう教えるのに、っていうのをコメントしに行っていたよ~」と、答えた。

なに!!!???
先生に教え方のコメントをしに行っていたのか!!!

ケントは授業中、
「自分が授業するなら」と考えたいたのだ。
そして、先生の教え方と異なったとき、
それを「教え方」について議論していたのだ。
私は、単に授業を聞き、「分からない」を「分かる」に変えるために質問に行っていたのに、ケントは「分かる」の精度を上げていたのだ。

このことを通して、私は不動の一位になるためのコツを学んだ。
(大学受験が終わった後ではあるが )それは、...

「受け身にならず、自分で考え、自分で動く。
教わるだけではなく、教える立場になったことを想定して学び続ける。」

ということだ。教えられるだけではなく、自分を教えてくれている立場にもなりきる。そうすれば、自ずとその分野で秀でた成績を残すことができるかもしれないと分かった。

実際、よく考えてみれば、私自身もそのことが通ずるかもしれない。
私は、高校の時、発表やプレゼンテーションをするのが上手で、研究発表やプレゼン大会でも成績を残していた。確かに、その時に話すテーマは様々ではあったが、それらのプレゼンは実際に自分がそのプレゼンテーションをする(大勢の人の前でプレゼンする)という前提で活動に取り組んでいた。

つまり、活動ごとに学んだことや感じたことを自分の心に強く印象付けることができたのだ。そのことで、プレゼンテーションは、感情のこもったものになるし、聞き手もその感情を動かされたのかもしれない。
もちろん、AO入試の際もそれらの活動からしっかりと「学び」を吸収できていたからこそ、自分なりのストーリーを描いて合格をつかみ取ったのだと思う。

最後に筆者の学びをまとめる。

「教わる」という言葉は受け身の言葉に見えがちだが、主体的に動かないと卓越した成績を残すことができない。

洋々に通う受講生の皆さんもGM、プロやメンターといった様々な人から「教わる」ことがあるかもしれない。そんなときは「自分だったらこうする」という強い思いを持っておいてほしい。

ところで、この記事を書いている筆者は、新米メンター(ちなみに2週間前に入学式だった、1年生)である。この記事を読んだ君がどんどん食らいついてくれることを心から祈っている。
私もそれに応えられるように、日進月歩、自分を磨き続ける所存である。


メンター:そうた


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