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メンターの話#4 【逃げ】

僕は、22歳で大学に再入学しました。

 それまで通っていた大学では医学を学んでいましたが、正直
「医者ってかっこいいな」とか
「障害者の妹がいるから」とか
「なんとなく海外に行っておこう」程度の気持ちで学んでいました。

そんな気持ちでしたから、成績も常にギリギリで留年と戦っていました。入学時点で成績優秀者として6年間の授業料が全額無償になる奨学金を受給することが決まり、驕っていたのかもしれません。

そんな中、できない自分を正当化するために、医師としてではできないことを必死で探し回りました。
医師免許を持ったコンサルタント〜とか、医師免許を持った商社マン〜とか、医師免許を持ったスポーツ選手〜とか。医学部で学ぶのはあくまで趣味みたいなスタンスに逃げていました。

それでも徐々に周りとの温度差を感じて方向修正しました。
医師を目指そう。的な感じです。
自分のやりたいことは何か、真剣に考えられませんでした。

僕は、
医師がかっこいいものだから、
障害児の妹がいるから、
こんな周囲の目線を理由に、自分のやりたいことは医師を目指すことだと思い込む様にしました。

そこからは逆に、周りの人間にマウントをとりたいと思ってしまったこともあります。医師以外はダメだと思って固執してしまい、結果を出したとしても誰にも自分の努力や意志を誇れなかったです。
今になって分かることですが、やりたいことではないから努力や意志に価値を感じなかったのです。

ずっと現状を正当化して逃げていました。

そして、当時はまだその正当化の延長として、「逃げ」として今の大学に入学しました。22歳で大学に入った時は、年齢だけで周りより大人になった気がして、また斜に構えていました。そして、4つも歳下の同級生よりもできない事実から目を背けようと間違った方向の努力もたくさんしてしまったことを恥ずかしくもよく覚えています。

しかし、「逃げ」の結果として、今の自分があります。

不思議なことに、昔のことを恥ずかしいとは思いますが、後悔していません。というのも、逃げた結果、というか、逃げ続けた結果、それを見透かしてくれていた素敵な人だけが周りに残りました。
確かに、いわゆる人気者にはなれませんが、
自分のことを肯定してくれる or
心から本気で否定してくれる or
理解できなければ喧嘩してくれる、そんな人たちが周りに残りました。
すごく幸せな人生だと思っています。

結果的に、僕も卒業後の進路も納得できるものに決まりました。
25歳にしてやっと、これからの未来がやっとわくわくするものになりました。笑

何が言いたいかと言えば、

「逃げてもいいし、逃げてみることで気づくこともある」

ということです。
さらに言えば、サポートや洋トピアでみなさんと関わる際は意気揚々とやっていましたが、25歳になるまで必死で自分探しをして、社会から報われないことに苛立っていた人間もいるということです。

逃げてみないと自分の弱さが何か本質的にわからなかった僕にしか言えないかもしれませんが、僕が医師になることが大事というイメージに強く捉われていたように、みなさんが何かに固執しているのであれば、是非一個人としては、逃げて欲しいなあと強く思っています。
周りの基準で、生き急がないでほしいなあと思います。

 みなさんは、誰のためのどんな人でいたいんだろう。
誰に認めて欲しいんだろう。固執していないか。
今の自分を、家族・友人・社会に対して誇れるか。

もしよければ、考えてみてください。

執筆 メンター:つかさ
編集 メンター:仁珠

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