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自分の司令塔は自分

カワセミを追いかけて、半年。ゼロからスタートして、居付いているポイントを四ケ所見つけた。居付いているというのは、何度か通って複数回見ているということだ。何度もその場所に行って、一度しか見ていない場合は、残念ながら居付いているとは言えない。

また、居付いている場所と言っても常にいる訳ではなく、今テリトリーのどこにいるかなど、到底人間の力では分かるものではない。超小型の発信機でもあって、あの小さな体の負担にならずに取り付けられるなら、話は違ってくるのだけれど…。

そのうちの一か所は、2~3週間前に環境が様変わりした。人の管理している土地なのだが、木々という木々はバッサリと切られてしまった。居た堪れなくなって、土地の管理しているところに電話して、経緯や理由を聞いたが、覆水盆に返らずだ。私の感覚では、あの環境が戻るまで、少なくとも5年はかかると感じる。木々が鬱蒼と生い茂った根城が、すっかり丸刈りにされていたら、カワセミはどう思うだろうか。姿が見えなくなっても、ダメもとであっても、私としては月に数回偵察はするつもりだが…。

今まで、一番の撮影ロケーションと思っていた場所を失うとほぼ同時に、新規の居付ポイントを発見した。ただ、ここのカワセミは異常に警戒心が強く、撮影するまでに何度も足を運び、数日後にやっと撮影することが出来た。


気配を消して接近する。言葉で書けばそれだけの話だが、まずは、どこに留まる確率が高いのかを徹底的に知る必要がある。ここで、踏み違えると数時間待ちぼうけを食らう事になる。次に、どこに身を潜めて、どこにカメラを置くか。地形を念入りに頭に叩き込む必要がある。最後に、アイデア。この場所からこうしたらうまく行くのではないか、というひらめき。毎日毎日あった出来事を妻に詳細話しているが、やはり画期的で実践的なアイデア、この場所の方が別の場所に比べていいのでは、という感覚は現場でしか産まれてこない。探偵や警察の言う現場100回と同じ感覚だと思う。5連続空振りということもあるし、影が見えたがカワセミと断定できないことや鳴き声でも判別不能なケースがある。ただただ、自分の五感をあの現場になじませていく。そんな作業だ。

撮りたい。写真としてよい結果を残したい。そんな欲望は一度引っ込める必要があるのが、カワセミだと思う。自分の描いているイメージ。今は、あの個体の行動パターンを知り尽くすことだ。自然のままの姿。どこから来て、どんな順番で、どんな動作を繰り返すのか。その予想がある程度立てられるようになったら、撮影というステップに進める。そんな奴がカワセミなのではないかと思う。

先日、静止画の写真撮影という概念を離れて、動画撮影を試みた。どうも、アップで撮影したくて、カメラワークがカワセミの動きに翻弄される展開だったが、それでも野性味溢れる動画が撮れたことに満足している。20日程前は、カメラを構える間もなく、何度も飛翔している背中しか見えなかった訳だが、警戒されず伸び伸びとした今回の雄姿が、次にすべきことを私に暗示してくれている。


写真は、最後のシャッターを切る瞬間のみクローズアップされ、常に楽に撮っているものと思われがちですが、その前のプロセスにかなりの部分を割いているものです。暖かいお気持ちで、サポートいただけるご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。