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#028 カフカとブロート

どうも。コロナにかかって少女地獄と化している四野葉です。
なんだか、「少女」という言葉にいつも惹かれてしまいます。別にロリコンではありません。
昨日、絶望名人カフカの人生論っていう本を読み終えました。この本は20世紀最大の文豪といわれるフランツ・カフカが日記だったり、手紙だったりに書いたものを編訳した頭木弘樹さんの解説付きで紹介している本です。
この本には先述の通り、カフカの日記、手紙を紹介しているのですが、明るい内容は何一つありませんでした。
仕事がつらいとか、普通になりたいとか、地下室の一番奥の部屋で暮らしたいとかそんな感じです。
なんだか、幽かに親近感を感じながら読んでいたのですがこの言葉が私の目に留まりました。

いつだったか足を骨折したことがある。
生涯で最も美しい体験だった。

断片

これは非常に共感しました。私は病んでいる状態は確かに辛いのですが、逆にそれが続いてほしいと願うときがあるのです。上手く言語化できないのですが、病んでいるほうが安らぐというか、安心するというか、なんというか…
ちなみに、これを頭木さんは「カフカは罪悪感が激しいため、自分を罰したい欲が強い。なので罰せられた(骨折した)ことによって罪悪感が減った」と解説しています。言い得て妙ですね。私もそうなのかもしれません。人の心はなんとも難しいです。

世の中にはいろんな名言がありますが有名なのは全部ポジティブなものです。私はそんな世の中が嫌いです。ネガティブの魅力を人々はなぜ味わないのか疑問に思います。まぁ、明るく生きていたいと願う人がほとんどだからですよね。

カフカの友人にマックス・ブロートという人がいます。彼も小説家なのですが彼の作品は簡単に言えば民衆に受けるような作風で人気の作家でした。それに対してカフカは自分が書きたいものを書いていたため生前は民衆に受けることはなくほぼ無名でした。
皆さんだったらなにか作品を作るとき、ブロートのように民衆に受けるようなものにしたいか、カフカのように民衆にあまり受けない自分が作りたいものを作りたいか、どちらを選びますか。
少なくとも私は後者を選びます。そうでないと、私が作品を作る意味がなくなってしまう気がするのです。私はカフカのような考え方なのでフォロワーは一向に増えないのです。でも私はそれで構いません。別に誰かに見てほしいと思ってやっているだけではないので。

パソコンのバッテリーが25%しかないのでここらへんで終わります。
私は今、カフカの世界に扁桃体を突っ込んでいるような状況かもしれません。
ではまた後日。

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