青春時代を過ごしたお店が閉店していた

なんでもかんでもコ○ナのせいにしたくはないけれど、

やはり影響がかなり出てきているんだな、というのを急に実感。


僕が青春時代を過ごしたお店が去年で閉店していました。


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そのお店は、新所沢にあるブロードウェイというニューハーフパブ


人生ではじめて通ったお店が、僕はニューハーフのお店でした。


それは、私立の高校を中退し、フリーターをしつつ、地元の夜間高校に通いはじめた頃の話。


いきなり脱線しますが、

夜間高校(定時制)は、本当にさまざまな人たちが集まって来るところで、

"ヤクザの息子で、兄は暴走族の頭"みたいなドヤンキーから、眉毛も鼻毛もぼうぼうで太っちょで会話があまりまともに出来ない"theひきこもり"みたいな人まで、

様々な、というよりは、陽キャor陰キャの両極端な人たちの集まりでした。


入学時は2クラスで60人〜70人くらいいるのですが、卒業時には10人くらいになっていて、

僕は夜間高校を中退、大検を取って大学に行ったので、卒業はしなかったのですが、

夜間高校を4年間通って卒業する人たちは、本当にすごいな、と心から尊敬します。


で、

その夜間高校に通ってるある日、そこで出来たバイク好きと女好きの職人友達が、

「しょうくん!こないだ親方に連れてってもらったオカマのお店めっちゃ面白かったから、行こうよ!!」

と誘ってくれて、行くことになりました。



地元の朝霞から車で走ること2〜30分。新所沢の駅からほど近いところにそのお店「ブロードウェイ」はありました。


はじめて入ったニューハーフパブは、

今思うと、ボロボロの内装だった気もするけれど、

当時の僕には、まるで別の世界に来たような、華やかで異様で、衝撃的な場所でした。

まだガキンチョな時期だったので、なんだか悪いところに来ているような、そんな背徳感も相まって、すごくワクワクしてしまう。そんな場所でした。



席につくと、

テーブルには明らかに中身の違う"トライアングル"がハウスボトルとして置かれていて(笑)、

しばらくするとボーイさんがボードを持って来て、

「どの子がいいですか?」

と、ニューハーフの子たちの写真を見せてくれました。


写真を見ると「え?!これが男?!」というほど綺麗な人ばかりで、

中には青ヒゲがめちゃくちゃある人もいたのですが、それはむしろキャラとしてわざとやっていたようで、面白かったです。


そして、タイプの子を指名してしばらくすると、その人たちが来てくれるのですが、

いざ席に来ると、

「あらぁ、い"ら"っしゃあ"〜い"」

みたいないかにも"男"、いや、"漢!"みたいな人もいました。笑


しかし、僕が指名した子が席に来ると、僕は一瞬で心を奪われてしまいました。


スラッとした身長に、綺麗な顔立ち。低くないどころか、普通に女性としか思えない声のトーン。

当時、外国美女に憧れがあった僕にはドンピシャタイプの女性(男性?)でした。

チェリーという名前のその子は、聞くと、スペイン人と日本人のハーフで、フィリピン育ちとのこと。

日本の血も混ざったハーフだからか、存在が遠過ぎない感じがよかったのかもしれません。



とにかく、僕はチェリーに惚れてしまったのです。

当時、ちゃんと同い年の彼女もいましたが、チェリーにはまってしまったのです。



それからと言うもの、

多い時には週に1回のペースで、少なくとも月に1〜2回は通い、

さすがに1人では行けなかったので、色んな友達を誘っていました。


カラー写真を撮れるようになったばかりのガラケーで撮ったチェリーとのツーショットが彼女に見つかり、ガチの女の子と浮気してると思われ殺されそうになりましたが、ニューハーフだと話すと、めちゃくちゃ笑ったのち普通に許してくれたり(ニューハーフは通常恋愛対象にはならないとその子が思ってくれていたのが幸いしました…)という思い出とかもあったり。



もちろん、ただの客とお店の人の関係なので、惚れたハマったと言っても、男女の仲(男男の仲?)にはなってはいませんが、

まだ僕も若く、感性がみずみずしかったというのもあり、結構本気で恋していました。


5〜6年前、ものすごく久しぶりに行った時に、当時いた女の子がリーダー的な存在になってて、なんと僕のことも覚えてくれていたのですが、

その時に「チェリーは元気?今何してるの?」と聞くと、

僕が通っていた数年後に、失恋で心をやられてしまった、と聞き、ものすごく胸が痛んだのを覚えています。



自分が全然通ってないのに、閉店を惜しむのはとてもずるいことだとは思いますが、

それでもとても残念な気持ちでいっぱいです。


かなり若い時代に、

ニューハーフという人たちと沢山触れ合って、女性よりも女性らしい心と体と仕草を持つ人もいるのだな、ということを体感として知れたこと。

ニューハーフの人たちが、いわゆる"普通でない"存在なせいか、感受性豊かで、人の痛みを理解が深いことを知れたこと。

そして、沢山のフィリピン人と関わることで、テキトーだったり、時には感情表現が激しいこともあるけれど、その国の人たちはとにかく元気で明るいことを知れたこと。

これらは、このお店に通ったからこそ知れたたこで、自分の人生においてとても大切で必要な時間だったな、と思います。



ミスチルの東京という歌で

思い出がいっぱい詰まった景色だって 
また 破壊されるから 
出来るだけ執着しないようにしてる

という歌詞があるのですが、

執着しないようにするのは、失うことで胸が痛むのを避けたいからで、まさにそんな場所だったような気がします。


ともかく、ブロードウェイにいたニューハーフさん達が、今日もどこかでお仕事出来て、無事に暮らせているといいなぁ。



当時作った曲・・・よかったら・・・お耳汚しになりますが・・・
チェリーやそこのお店のことを考えながら・・・
4トラックのカセットテープMTRで録りました・・・
(映像はこないだ行ったバーレスクのです!!)















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