見出し画像

昭和の思い出 〜 家電その参

ステイホームの影響で昨年の白物家電の売れ行きがとても良かったとニュースになっていた。ところで「白物家電」という名称の由来は、冷蔵庫や洗濯機が発売当初白かったかららしい。だが私が物心ついた頃の昭和の冷蔵庫は白くなかった。というか、ほぼ全ての家電が色もの・柄ものだった。冷蔵庫も洗濯機もなぜか緑色が多くて、たまにベージュかグレー。洋式便器に至ってはワインレッド大流行の時代があった。(今考えるとなぜあんな落ち着かない色にしたのだろう。)

そういえば保温ポットとか炊飯ジャーも鮮やかな地に花模様とか、とにかくカラフルだった。今でもたまにテレビ番組でご年配の方のお宅訪問をした時など、茶の間に現役の花柄ポットくんを見かけると「おっ、頑張ってるね、同級生!」と声をかけたくなる。
とにかくそんな時代だから、家に白い家電を置くと逆に浮いてしまったくらいだ。車もツートーンなんて上段と下段で色が違うのが流行ったし、ランドセルがやたらカラフルになったのもこの時代だ。畳と障子に囲まれた色彩の少ない家で育った日本人が、海外ドラマや洋画で見た色鮮やかな世界に触れて、一生懸命追いつこうとしていたのだろうか。

昔、ルキノ・ヴィスコンティ監督(イタリア貴族の家系だそうです)の「ベニスに死す」を初めて見た時、その溢れんばかりの色の洪水に圧倒されたのを鮮明に覚えている。室内でのシーンだが、派手な色の壁に柄の絨毯、柄のソファーに華やかなドレスのご婦人。その色柄満載の世界が下品にならず見事に調和しているのだ。なるほど「洋服」とは長年この土壌のもとで作られて来たものなのか、だとすると日本人にはとても同じ土俵で勝負出来ないな、と感服した記憶がある。

そして令和の今、気がつけば家電もインテリアも昔よりぐっとシンプルになっている。今風に言うと「一周回って」だろうか、様々な色を取り入れて来て、最終的に「やっぱり畳と障子の落ち着いた色彩がいちばん」に着地したのか。明治から始まった西洋文化との共存の中で、ようやく日本文化のアイデンティティが確立しつつあるのかもしれない、なんて思ったりしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?