花粉症と私の長い共存の歴史

突然鼻がムズムズして、クシュン、クシュンとくしゃみ5連発。ああ、今年もヤツが来たな、と憂鬱になる。同類とは「来たね!」が挨拶代わり。毎年恒例のイベント?だ。

思い起こせば私と花粉症を発症したのは中一の終わり。春先、とにかく鼻水が止まらず近所の耳鼻科へ。「アレルギー性鼻炎」(当時はまだ花粉症という病名が一般的ではなかった)と診断され、ひたすら鼻腔洗浄に通い、なんとなく良くなって行くのをやめたが、単に花粉の時期が過ぎたからで、翌年の春にはまた同じ症状が。花粉症と私との長い付き合いの始まりである。

人にはそれぞれ花粉の許容量があり、それをオーバーすると花粉症を発症する、と聞いたことがある。許容量は人によりかなり違って、ドラム缶くらいの人もいればコップ1杯くらいの人もいるというが、さしずめ私の許容量は小さいお猪口くらいだったのだろう。

今のように優れた抗アレルギー薬が多種ある時代ではないので、最初に飲んだのは蓄膿症(今は副鼻腔炎と呼びますね)の従姉妹から勧められた漢方薬。即効性はないが飲んでいるのと飲まないのでは大分違った。でも今思うとかなり高くて親は大変だったろうな。

その後花粉症が世の中に認知され、市販薬も発売されるようになった。が、当時のものは飲んだら最後、どうしちゃったのかと思うほどだるくて眠くて仕方ない。当然仕事の時などとても飲めない。

そんな時出会ったのが、SUDAFEDというアメリカでは一般的な市販薬。これは全然眠くならず、よほどひどい時でない限り20〜30分位でなんとなくスッキリして来る。幸い兄がアメリカに住んでいたので、送ってもらったり、旅行に行った時に買いだめしたものだ。

その後お世話になったのはアネトン。これは優秀だった。即効性もあり、かなり酷い時にも効果がある。花粉症の方ならご存知と思うが、1シーズンに2〜3日、どうしょうもなく症状の酷くなる日がある。
以前会社のおじさまがその日に当たり、もの凄く辛そうだったので、このアネトンを提供した。おじさまは半信半疑で飲んだのだが、数十分後には症状が治まり、翌日感動してお礼に高級洋菓子店のお菓子を頂いた。

しかし長期間花粉症の人の多くが副鼻腔炎になるというが、私も例外ではなかった。数年前急に悪化し、鼻腔の奥が腫れ臭いがわからなくなることもあった。結果、花粉の時期以外も日常的に抗アレルギー薬のお世話になることに。

そんなわけでここ数年は薬のおかげで花粉の時期もさほど辛い思いをせず迎えている。が、鼻の症状は抑えられても、目と肌への影響は年々ひどくなるばかり。目が痒くなって腫れ、肌がピリピリして気がつくとあちこち赤くなっている。

それにしても本当なら寒い冬から暖かい春に向かう一番心踊るべき季節に、なぜ憂鬱にならなければいけないのか、考えるともったいないばかりだ。多分花粉症とは死ぬまで付き合わなくてはならないのだから、そろそろこのグスグスも季節の風物詩くらいに受け流せるようになりたいのだが。
そんなことを考えながら目の痒みに耐えかね、また目薬を差している私である。


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