昭和の思い出 〜 家電その壱

昭和ではあるものの、私の子供の頃には今日常的に使われている家電はほとんど存在していた気がする。もちろん形態や機能、普及率は今と雲泥の差なのだが、本当になかったのはビデオレコーダーと携帯電話くらいではないだろうか。
洗濯機も二層式だがどの家庭にもあったし、テレビもあった。でもまだ電話のない家庭は珍しくなく、学校の連絡網に(呼)(←かっこ呼び出し、と読む)いう表記をよく目にした。今の携帯と違って固定電話引くのは金銭的にも結構大変だったのだ。

電話といえば、家に1台しかないので、成長するにつれ家族にかかって来た電話を取り次ぐことも多くなった。「はい、少々お待ちください」なんて言って親や兄に取り次ぐ時など、すごく大人になった気がしたものだ。
今の若い新入社員の中にはこの電話の取り次ぎが苦痛で会社を辞めてしまう人がいるという。最初聞いた時は信じられないと思ったが、思い起こせば自分も無意識のうちに家で練習を重ねて身に付いて行ったものだから、固定電話のない家庭で育った今の子達には当然かもしれない。

テレビは物心ついた頃にはカラーになっていたが、家具調テレビといって今からは想像出来ない程大きくて豪華?なテレビが当時の主流だった。ブラウン管なので寿命も短く、映りの悪くなることもしばしばで、そういう時は必ずテレビを叩いた。そうすると何故か一時的に直るのだ。この記憶が体に染み付いていて、今でもPCが固まった時など無意識に叩いてしまう人も多いのではないだろうか。もちろん私もだが。

当時の家の間取りは大体どこもサザエさんの家と同じで、真ん中に茶の間があり、そこにテレビがあって家族で同じ番組を観ていた。もちろん時には兄弟でチャンネル争いもあった。私も歳の離れた兄に何度泣かされたかわからない。
その後気がつけば子供それぞれに部屋が与えられ、食事が終われば部屋で音楽を聴いたり漫画を読んだりして、家族でテレビを観るなんてことも段々と減って行った。多分今は小さい頃からそんな感じなのだろう。
ビデオデッキが普及する前は、人気ドラマの最終回には街に人が減ったとニュースになったけれど、それも今では考えられない話だ。不便といえば不便だったが、ワクワクして最終回を待つあの気持ちは、今では経験出来ない貴重な思い出である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?