1人の女性がエンジニアになるまで〜いつエンジニアになったか分からんパターン〜
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1人の女性がエンジニアになるまで〜いつエンジニアになったか分からんパターン〜

やきとりい

誕生ー保育園ー幼稚園

人生の途中まで、思い出の写真とか積極的に手放す生き方だったので幼少期の写真などは出てきません。このエントリはwirohaさんの「1人の女性がエンジニアになるまで」から続く、いろんな女性がエンジニアになるまでを書いたサンプルの一つです。

1980年福岡県福岡市に生まれました。母は高校の司書教諭、父は以前同じ高校に務めていて、母との結婚を機に教育系一般企業に転職しました。同じ学校に夫婦がいることはできない制度らしいです。理由はよく分からん。

3歳上の朗らかで穏やかな兄がいて、兄なりに妹を搾取(※じゃんけんでいつもパーを出す妹に、じゃんけんで勝負をしてジャンプの先読み権利を取得していた)したり保護したりしていたようですが、わたしはぼんやりした子どもだったのでそのすべてをそういうもんだと受け入れて生きていました。

あと、生まれたときから通いでお世話をしてくれていた「京子おねえちゃん」がいました。当時それほど多くはなかったフルタイム共働きの家庭で、二人目の子供を全部見るのは無理だと悟った母が、自分の勤め先の高校を卒業して就職浪人していた教え子をシッターさんに雇ったのでした。

母と京子おねえちゃんとなぜか京子おねえちゃんのご実家のみなさまにも可愛がられ、保育園と幼稚園をこよなく愛して過ごしました。当時は母親が働いて子供を手元で育てないなんて…みたいな風当たりが今よりもさらに強かったようですが、育てられた子どもは全然苦にしていなかったことをご報告します。

幼稚園が好きすぎて、幼稚園が子供を受け入れ始める時間より前に幼稚園にいきたがって母親を困らせていた記憶がうっすらとあります。大雪の降る日にたいそう早くに幼稚園に突撃し、幼稚園が開いていなくて、困り果てた母親が近くの同じ組の子のご家庭にわたしを預かってもらって出勤したこともあります。今思うとマジごめんな。

あ、父親はわたしが年中さんのときにマンションを買ったところ、順当に単身赴任を命じられて鹿児島にいきました。日本企業そういうところ本当よくないと思うよ。

小学校

小学校のことはよく覚えてないのですが、大好きな女の子の友だちがいました。昼休みの「みんなであそぶ日(曜日)」に、全員がかくれんぼをしている中、その子の手を引いて絶対だれもこないような所に隠れ、ふたりでいつまでもおしゃべりをしていたのが甘美な思い出です。

興味のある分野には集中できるけど基本的には注意力が散漫なタイプで、毎日忘れ物をしない日がないので「忘れ物の女王」という異名を持っていました。世が世ならなんらか診断がついたかもしれません。あと運動神経が悪く、毎日転んで膝が傷だらけでした。

小学校高学年になると赤川次郎を読むようになり、そしてある日家にある父親の本棚から一冊の本を取り出しました。綾辻行人『殺人方程式  切断された死体の問題』。

父は司書教諭である母に負けず劣らずの本好きで、単身赴任先で買った本が溢れると、定期的に福岡の家に送っていました。家には父の部屋はありませんでしたが本の部屋がありました。父は特にミステリーやSFを愛し、新本格ミステリーの新刊は全て買っていたため、わたしは黄金期の新本格ミステリー新刊を読破する子供になりました。父と会うときにはいつも人殺しの本の話をしていました。感動的な父娘の絆の誕生です。

本と漫画に関してはほぼ無制限の家庭だったため、一時期兄と合わせて漫画雑誌は『週刊少年ジャンプ』『週刊少年マガジン』『ちゃお』『りぼん』『なかよし』『月刊花とゆめ』『別冊花とゆめ』『ララ』『Wings』を定期購読していました。よく考えると寛容がすぎるな。

その代わりゲームは禁止されてて、テレビも子供向けのアニメと教育テレビだけみていいことになってました。もちろんコンピューターなど触らせてもらえる環境になく、大学進学で親元を離れるまでそのままです。

中学校ー高校

中高一貫の女子校という名の楽園にいました。中学二年生のころから、オリジナルのリレー小説(複数人が同じストーリーの小説を書き継いでいくもの)に参加し、だいたいその友達たちと卒業まで仲良くしていました。リレー小説の登場人物の名前でわたしを呼ぶ友人もいました。わたしの厨二エピソードは百八式あるぞ。

女子校というのは閉ざされた箱庭の中の自由があり、少なくともジェンダーで役割や優劣を付けられるということはありませんでした。

しかしそれでも、スカートの長さを調べるために先生の前で膝をつかされたり、文化祭での発表で世界の衣装文化の発表をしたとき、母の友人から借り受けた美しい韓国の婚礼衣装を見た数学教師が「キーセンか」と言い放った時の衝撃などはいまだに覚えていますとくに後者のエピソードは思い出すたびにはらわたが煮えくりかえりますこの怒りわすれぬぞxxxxxx(個人名が入るため伏せさせていだだきます)。

中高一貫校だったので文理選択は高校一年でした。わたしは数学に一切の興味がなく文字情報のことだけ考えていたかったので(当時数学が文字情報だと気づけてなかった)、成績に大きな偏りがあり、担任からクラスに文理選択の説明会があった時、「たとえば鳥井のようにバランスが悪いタイプは文系に進んだ方がよく」と例に出されるほどでした。その傾向は受験期までずっと是正されず、むしろ亢進しました。

大学

大学は東京に進みました。先に兄が東京の大学に出ていたので同居です。一年間私立大学の政治経済学部に行き、結論として「わたし全然政治経済に興味ないわ…」となって、後期試験なら数学がなくても入れる国立大学を受験しなおしました。兄は就職したので大学二年生から友人たちと同居を始めました。行った先の国立大学は三年進学時に専門を選ぶタイプだったので、美術史学を専攻しイタリア語をちょっとかじってジョバンニ・セガンティーニで卒論を書きました。Wordは使えるようになっていました。

というと特に問題はなさそうですが、実生活は結構ガタガタでした。というのも、小学生時代にはすでにあったこの
> 興味のある分野には集中できるけど基本的には注意力が散漫なタイプ
という傾向が効いてきていたからです。

中高一貫であまり変化のない環境、かつ親元にいたときは、事務手続き的なことは自分で回す必要はなかったのですが、親元を離れた大学生にはそれなりにあります。でもほぼできませんでした。時々電気が止まったりしました。就職活動というものもよく分からず、ぼんやりしていたら卒業はしたものの就職していない状況になっていました。本屋の洋書部で在学中からバイトしていたのでそれが非正規雇用の職になりました。

就職ーエンジニアになるまで

しばらくそれでも楽しくやっていたのですが、ある日「就職せないかんな」という気分になり、本屋の接客が楽しかったので営業職とか向いているのでは? とベンチャー企業を受けてみました。

ベンチャー企業の社長は見る目があり、面接中に「こりゃ営業には向いてないぞ」と思われたらしく、途中で面接官がCTOに交代。「語学得意ならいけるんじゃない?」という理由で技術部に配属されました。

(ここから早口なんで読まなくてもいいです)
アフィリエイト集計システムの運営とインドの開発会社への開発外注マネジメントをしながら、技術部の人の話してる単語がなんも分からんのでひたすら「ぶらうざ...とは?」などとググり(マジだよ)、毎月アフィリエイトのパートナーにもスポンサーにも請求を出すために管理画面の機能が足りないからSQL教えてもらってドリルやってDBから数字出して請求したり請求根拠を出したりしていました。お問い合わせにもそれで答えました。
「アフィリエイトタグを埋め込めませんがどうすれば〜」「リダイレクトのどこでコンバージョンが落ちちゃうか分かりません(おたくのシステムのバグ?)」「https対応ができません」「メールが届きません」などのお問い合わせに対応してるうちにインターネットの仕組みが大まかに分かってきました。
「こういう情報が画面に欲しい」というちょこちょこした要望に応えるために適当にコードを足すようになり(mojav とかそんなPHPのフレームワーク?だった)。そのシステムがどう動くか、というのを熟知してコードを読むと読めるのでちょっとしたバグとかも直したりするようになり、と徐々に内部に踏み込んでいきました。
そうこうしてるうちに担当のアフィリエイトシステムの開発にテコ入れが入ることになり、国内の開発会社にお願いすることに。運営担当として、いまこんなSQLを書いてるのでこれを画面に出したくて〜とかお客さんからこう言う要望があるのでこの画面に表示したくて、そのためにはこういうデータが、とかを解説していました。
その開発は大炎上して遅延に遅延を重ね、要望の半分以上が二次追加開発に回り、しかも追加見積もりが一千万円とか出てきました(たぶん炎上がしんどくて高く見積もられた)。
これは自分がやった方が安くて速いのでは? となり、250万円見積もりが出た機能を自分で実装して安く上げ、うーんこの辺からプログラマかな? たぶん…みたいな感じでいつの間にかプログラマになっていましたとさ。

その技術部の人たちにはすごいよく育ててもらって、「データの構造とブラウザの表側、両方から攻めるといいよ」とSQLとJavaScriptから教えてもらったりしたなぁと感謝しています。

電気代を自動振り込みにしたら電気が止まらなくなりました。

いろいろあって今

その後その技術部の先輩たちがほとんど転職でいなくなるなどのベンチャーあるあるがあり、ここらでいっちょと当時からRailsの世界でちょっと有名だった万葉に転職して今に至ります。もう万葉に10年いるんだって。

相変わらず事務手続きはできなくて会社には大変迷惑をおかけしていますが見捨てずにフォローしてもらって生きています。

プログラミング、やってみたら楽しかったので、もっと早めに始める機会があるとよかったなーとか、とにかく始める機会が増えるといいよね、という動機から、RailsGrilsとかその辺の、技術の世界の機会の均等を意識した活動を始めました。その流れで技術書の翻訳の仕事もするようになりました。翻訳の仕事の中でも『ルビィのぼうけん』シリーズと『Girls Who Code 女の子の未来をひらくプログラミング』あたりは、プログラミングの世界への入り口を少し広げる役に立ったかなぁと思っています。人殺しの本を読みまくったりリレー小説書いたり受験期に小説が読めないから英文長文問題でテキスト欲を満たしていたことも無駄ではなかった。

こんな感じでCS(コンピューターサイエンス)のバックグラウンドがないのがコンプレックスではあるんですが、『Rubyのしくみ』の翻訳レビューに参加したり、アルゴリズム関連の書籍を読んだりして、ちょっとずつその世界とも仲良くしていってます。最初から全部分かってなくても、興味を持ってればちょっとずつ分かるようになるので仕事っていいですね。

プログラミング以外だと、結婚して子供ふたり(現在4歳と1歳)を育てていて、可処分時間のなさにヒーヒー言っています。プログラミングがやってみたら楽しかったみたいに子育てもやってみたら楽しかったです。毎日おのれの至らなさに向き合えるのも最高です(向き合いたくない)。

長くなりましたが、まとめると

・電気代は自動振り込みがおすすめ
・自動振り込みにして人間ががんばらなくていいとうれしい、みたいな人にはプログラミングの道はおすすめ

ということでしょうか…ちがうな…

何らかのご参考になれば幸いです。

 

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やきとりい

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はげみになります。今日の運勢は中吉でどうでしょう。
やきとりい
プログラマー。二児の母。翻訳書に『ルビィのぼうけん』シリーズ、『Girls Who Code 女の子の未来をひらくプログラミング』『プログラミングElixir(夫の笹田耕一と共訳)』 「ぱんださん」は2016/12生まれ、「よんださん」は2019/9生まれの子です。