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親を見送るということ- 父、胃瘻を作る 後編 -

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父の胃瘻を作る手術も終わり、退院の日も決まった。

胃瘻を使っての食事の仕方を家族にも知っておいてもらいたいということで、また病院に招集された。

鼻に入っていたチューブを抜いた父はサッパリしたようで、前回会った時からは想像もつかないくらい元気になっていた。

認定調査の日は最悪のコンディションだったせいか要介護5という結果だったのだが、それが信じられないくらい元気だった。

そして自分の体に作った胃瘻を自慢げに見せてくれた。

父にしてみれば、自分をカスタマイズしたような気分なのだろうか?
もしくは最新のオモチャを手に入れた気分なのかもしれない。

私からすれば体に穴を開けてそこからプラスチックの突起物が出ているなんて見た目的にへこみそうだが、父は嬉しそうだった。

栄養食は最新の半固形タイプ。多少力が必要らしいが食事時間は短くなるそうだ。「最新」というフレーズも父にしてみれば嬉しいのだろう。

器具の使い方・消毒方法などの説明を受けたのだが、母はそもそも自分には出来ないと決めてかかっており、ろくに話も聞いてはいなかった。

すでに父はこの器具を使い自分でも食事をしたらしく、「家に帰ったら自分で出来る」と言い熱心に説明を聞いていた。

その後担当医から

退院の日にちは決まったのだが、少し肝臓の数値が気になるので内科を受診してください。

と言われた。

内科の医師の説明はこうだった。

経鼻経管から胃瘻に切り替え栄養食が変わったから一時的に数値が上がった可能性もあります。
しかし検査をしてみないとわからない、しかも検査をすると退院が延びてしまいます。
ましてや結果が悪ければまた別の治療ということになります。
咽頭癌に関しては緩和医療を選択したのに、肝臓に関しては治療するというのは少し矛盾しているとも言えますが...

空気は完全に退院ムードになっていたし、かなり元気になり自覚症状もなかった父は、
「退院が延びるくらいなら検査は受けない、縛り付けられて生きるのはごめんだ!」
と言い切った。

腫瘍もだいぶ小さくなり、しっかりと栄養が入り、体力がついて体調を崩す前の強気な父に戻ったようだった。

そして肝臓の検査は受けないで退院することに決まった。

それが正解かどうかはわからないが、父が自分の意思で決めたこと。
私が責任を負わなくてもいいんだ、という安心感はあった。

しかし担当医からは、
「あとどれだけ生きられるかはわかりませんが、年単位の話ではありません。」
とハッキリ告げられたのだった。

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