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親を見送るということ- 父のジレンマ 編 -

12月も半ばになり、

「年末に具合が悪くなっても入院出来ないから、年末年始だけでも入院させたい」

と母が言い出した。

介護士さんも「その方が良いかもしれない」と父を説得してくれたのだが、父は頑として聞き入れなかった。

12月28日までに入院の申請をすれば受け入れてもらえるらしい。
それまでに説得できれば、ということで私の出番となった。

私が言えば父は怒ることは無いが、説得できる自信も無かった。
なんとなく、父は病院ではなく家で死にたいのではないかと思っていたからだ。
それでも一応は説得してみるしかない。

私「お父さん、調子悪いんだって?」
父「誰が言ったの?」
私「お母さんが言ってたよ」

父の表情が変わった。怒りと悲しみが入り混じった様な顔だった。

私の顔を見ることなく父は話しだした。

「いつだって先回りして大袈裟に騒いで、自分が逃げることしか考えてないんだ。俺は出来る限り迷惑かけない様にやってるのに…」

絞り出すようにそう言った。

胸が痛くなった。

母に言われたなんて言うべきでは無かったのだ。

「そうだねお父さんは何でも自分でやれるんだし、入院なんてする必要無いね!」

そう言って部屋を出た。

涙が溢れた。

母には、「もう入院なんてさせなくてもなくてもいいでしょ、年末年始は私も仕事休みだし、万が一何かあってもみんな側にいられるんだから」と伝えた。

母も「もう何も言わない」と言ってくれた。

祖父も自宅で亡くなった。
祖母は病院で亡くなったが、父も祖父の様に最期の瞬間を迎えたいのだと思う。

祖父は数えの60歳で亡くなった。
父は自分の60歳の誕生日の日に、「俺も親父を超えたな」と満足気に言っていた。

人格的に超えたかどうかはひとまず置いておくとして、年齢的には充分超えた。

「畳の上で死にたい」というのは「自分の家で死にたい」ということでもあるのだろうか?

最近は突然死でもない限り、自宅で亡くなる人はなかなかいない気がする。

命がはじまる瞬間、そしておわる瞬間には、誰かにそばにいてほしいと思うのかもしれない。

なんとなく、私は自分の出産の時のことを思い出した。

苦しい時に夫に側にいてほしいと思った。

しかし出産に立ち会う為には講習を受けなければならず、仕事の忙しさにかこつけて、結局夫は受講しなかった。

何もしてくれなくても、ただ側にいてほしいだけなのに。
痛みや苦しみを共有したいだけなのに。
その気持ちを解ってもらえない悲しさ。

それは我儘なのだろうか?

そして今、父が抱く「自宅でみんなに囲まれて最期を迎えたい」という願いも我儘なのだろうか?

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