モバイル〇〇の導入が難しい理由

きょう、激烈な朗報があった。

そう、モバイルICOCAの導入の報である。
長らく、モバイルどころかオートチャージやwebチャージもできず、クレジットカードチャージすら登録制(カードを変更すると封書が届く)という化石のようなシステムであったICOCAに、いきなり21世紀の風が吹いた。

このICOCAは関西でダントツのシェアを誇る他、全国の交通系ICカードのなかでも3位の普及率となかなかのもの。しかしながら、Suicaに比べれば4分の1程度(8千万枚に対し2千万枚)という微妙な利用者数でもある。これを見てか、一般のニュース記事では「採算性がない」という見通しが示されてきた。

ただ実際問題として、採算性が本当にないのかは微妙なところだ。プラスチックカードとその物理的なチャージ機が必要なICOCAカードと、アプリさえリリースしてしまえばユーザーサイドがもろもろ行うことになるモバイルICOCAであれば、わりとモバイルのほうが経費はかからない。くわえて、無記名のSF残高で決済を行う性質上、物理ではビッグデータの収集も難しいだろう。そう考えれば、プラスマイナスで言えばモバイルの導入はプラスに触れると個人的には思う。とするならば、導入が難しかったのは、技術的な問題ではないかというところが考えられる。

そこでつらつらと記憶をたどると、同じようになかなか出ないものとされていたモバイル版が、唐突に登場した同類があることに思い至った。「モバイルSuicaがあるし、出したところでどうなんだ……」と言われていた、モバイルPASMOさんである。

モバイルPASMOは、今年の3月からスタートした日本で2つめのモバイル交通系ICサービスである(ローカルなものやMaaSを除く)。
「採算性……」とは言われていたものの、Suicaでは対応できなかった関東の私鉄線定期券を搭載できるなど、モバイルSuicaでは不可能な部分をカバーしており、わりと見通しは明るいと思われる。
では仮に、私の適当な推察通り「採算性は大丈夫」として、なぜこんなにも登場が遅れたのか(モバイルSuicaから14年遅れ)を考えてみると「技術面」と「組織面」の二つの問題、そして今年モバイルICOCAが発表された理由が見えてくる。

技術的な問題

ひとつめの技術面については、日本の交通系ICカードに共通した問題がある。

前提として、モバイルは端末の中にあるICチップに情報を書き込み、それをカード同様に読み込ませることで機能する。ふつうに考えれば複数の情報をひとつのICに書き込めば情報の混同が起きるのだが、iDやSuicaといったブランドはそれぞれに「システムコード」と呼ばれる数字を割り当てられており、決済の際に使うシステムコードを指定することで共存ができる。
仮に、レジでiDとSuicaの2枚重ねでタッチしても、「うちはAAAっちゅうシステムコードしか使えませんぜ」とレジ側がコードを選択し、無事に決済ができるようになっているわけだ。
おサイフケータイやApplepayなどでは、こうしてひとつの端末内ICに複数のカード情報を記録し、使い分けることができる。

しかし、交通系ICカード同士はそれができない。ほとんどの交通系ICカード事業者が加盟するサイバネ協会の交通系ICカードは、実は全て同じシステムコード「0003」を割り当てられている。だからこそ全国の改札機で交通系ICカード相互利用ができるのだが、これは同時に2枚以上の交通系ICカードを改札機は識別できないことを意味している。(逆に言うと、システムコードが異なるIruCaとかは技術的には難なくモバイル版を作れる。需要は知らない)

なのでiDとSuicaの例と違い、交通系ICカード同士では2枚重ねが出来ない。試しにSuicaとICOCAを2枚重ねて改札機にタッチしてみてほしい。グリコのポーズをする羽目になる。

モバイルPASMOにおいても、このことは指摘されてきた。そして導入された現在においても、じつはこれ全然解決していないままである。

モバイルPASMOを入れた端末では、モバイルSuicaは使用できないし、そもそも存在できない(=パスを削除しなければならない)。逆もまたしかりである。

ただ少しだけ以前と状況が違うのが、最新の一部スマホ機種において、これに改善の兆しがあるということだ。システムコード自体は全国相互利用の関係で、そして既に発行された数千万枚のカードを書き換えるというほぼ不可能な工程が必須であることから、今後も同じものが使用される。

ではどうしたのかというと、これまではスマホのICチップ上に「カード情報がある」「ない」の二択であったところを、スマホのユーザーサイドで「カード情報が有効」「無効」の二択にすることで解決した。

つまり、SuicaとPASMOの2つの情報が書き込まれたICは無理なので、情報の記録はICではなく一旦アプリのメモリで行う。そして使うときに片方だけを「有効化(ICへと書き込み)」する(※正確には違うが)。物理カードでは不可能な、ユーザーインターフェイスが存在するモバイルならではの解決法である。この解決法を搭載した機種はまだ数えるほどしかないが、ひとつの例を上げるとGooglePixel 4がある。これが発売されたのは、去年の10月で、モバイルICOCAもおそらくはこの流れで3年も経てばたいていの機種で解決が可能だと踏んだのだろう。

※なおnanacoやWAONもじつはシステムコード的には同じものであり、GooglePayなどで同様に共存が実現している。なので、同様の処理でSuicaやPASMOを共存させることもできる。これはnanacoなどはレジで「nanacoで」と宣誓できることが前提となっている(レジが「nanacoの情報を読むぞ」と待機することで同一のコードから特定カードの情報を取る)のだが、Suicaとなると改札機をひとつのカード専用にするわけにもいかない。そこを、最新機種ではあらかじめユーザー側が「0003コードではこれを使う」と有効化することで解決した感じ。これもまた正確ではないので、これ以上は技術書を読んでくださいな。

組織面の問題

すべてに先立ってモバイル版を提供したSuicaは、実質的にJR東日本の単体発行のカードで、同社の資本が元手になっている。このため、モバイル版には必須となるデータサーバの維持管理や、アプリ開発、アップデートに関する投資は同社の胸三寸で行えるし、同社の資本力ではそれが結構容易だった。

これに対して、PASMOはPASMO協議会という私鉄各社の合同組織が母体になっている。加盟各社の体力はまったくバラバラで、また加盟各社の一社ではJR東日本という巨大企業に対抗できるほどでもない。そんな組織が上述の投資をするとなると、当然ながら費用負担などで揉めるだろうし、JRに委託するとしてもその委託費用でまた揉める。頭もひとつ、お財布もひとつのJR東日本と比べれば、協議会では圧倒的にスピードと体力が足らないのだ。例えるなら、JR東海が「自前で中央新幹線作りますわ」といってさっさと新幹線を開通させようとしているのに対し、揉めにもめている長崎新幹線みたいな感じである。おそらく「採算性が……」という話は、ランニングコストというよりこの莫大な初期投資をどうするか(話によると数億円)が大きいのだろう。

振り返ってICOCAを考えてみると、母体となるJR西日本の頭はひとつだが、お財布は東日本に比べれば頼りない。意思決定こそ迅速でも、多少はSuicaと共通化・委託できるPASMOよりも自前で開発しなければならないコストが大きいというところに問題があったのではなかろうか。

PASMO協議会においては、導入3年前の2017年に「商標出願2107-122035」というスマホ関連の商標を出し、「もしかしたらモバイルPASOMOが来るかも?」と匂わせつつ、「それは未定」と微妙な取材対応をしていた。ちょうどそのころのPASMO発行枚数は2千万枚台と推定され、奇しくも「3年前」という状況を含め、ICOCAに近いものがある。しかしICOCAのほうでは「3年前」のいま、既に「モバイルICOCAやります」と宣言までしており、頭が複数の協議会と頭はひとつのJRという事情が透けて見えるような気もする。

今後

さきほど書いたように、PASMOは「商標登録」から3年の今年、モバイル発売に至った。ICOCAはその今年、プレスリリースで3年後のモバイル発売を発表した。モバイルPASMOは最新機種の登場をぎりぎり待った形だが、現状では多くの利用者を抱えるモバイルSuicaとの二者択一状態であり、利用者の伸びには自ずと限界がある。それに対し、3年後、モバイルICOCAはおそらく交通系ICカード搭載が二者択一ではなくなった世界でデビューするわけだが、そうなるといまのPASMOと違って2枚めとしての登録に光明が見えてくる。わざわざ2枚めを入れてもらうためにも、MaaSのようにお得で便利な独自のシステムへの提携や、定期券のスマホ内購入(たぶん)といったところをわざわざプレスリリースに宣言したのかも知れない。

今後に期待大である。

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