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生活の中に偶発性を取り入れる

もう10年前の話だが、社会人になり、新人研修で早速つまづいた。

ぼくは「電話かけ」が大の苦手だった。知らない人に電話するのも、自分の電話している声を周りの社員に聞かれるのも嫌いだった。だから電話営業が苦痛で仕方なかった。あの頃は毎朝「会社に行きたくない」と思っていた。

学生時代は、嫌なことがあったら、なるべく逃げてきた。苦手な人や苦手なコトとは、できる限り関わらないようにしてきた。

だけど仕事ではそうもいかない。「やりたくない」が通用する場所ではない。怒られるのはもっと嫌だ。

だから辛かったけど、やるしかなかった。そして上達は遅かったが、何度も繰り返すうちに、最終的にはぼくもみんなと同じように電話営業ができるようになった。

いつの間にか「できている」ことに気付いた瞬間は、ものすごく満たされた感じがした。できないと思っていたことが、できるようになったから。その喜びは大きかった。

これはある意味、会社という「強制力」が働いたおかげだ。安易に「やりたくないから」と逃げていては、得られなかった成長だ。

「自分でやりたいことは自分で選択する」はもちろん大切なのだが、しかし同時に、人生には「やらなきゃいけないこと」や「やることになってしまったこと」もたくさん存在して、それらと向き合うことにもちゃんと意味があると、ぼくは社会人になって初めて気付かされた。

毎年4月になると、「会社を3日で辞める新入社員」のことが話題になり、「3年は続けるべきだ」「いや、合わなかったら早くやめるべきだ」と論争が起こる。

人それぞれ境遇は異なるから、一概に良いとも良くないとも言えないけど、最初から「やりたいことだけしかやらない」という生き方を取ると、逆に自分の可能性を狭めてしまうこともありえる。ぼくは会社員として失敗も含め色々と経験できたおかげで、生涯役立つスキルを手に入れられた。

車の運転と同じように、多くのことは、一度や二度試してみただけではできるようにならない。運転教習の初日で「私には運転の才能がありません」と諦める人はいないだろう。最初は誰だってうまくできないが、大抵の人は、1〜2週間続けたらちゃんと運転できるようになる。それだけの話だ。

「やりたくないけどやらないといけない」という強制力や、「アクシデントが起きて突然こんなことをすることになった」という偶発性も、人生では大切なこと。なぜならそれらがないと、自分の行動が、自分の思考の範囲から抜け出すことはないから。ぼくは、自分の知識や経験の範囲で考えられる発想なんて、たかが知れているといつも思っている。

だからよく、偶然を味方につける。たまたま出会った人に、「今こんなことをやりたいと思っていて」と試しに話してみる。

すると、「それなら私の知り合いでこんな人がいるから紹介するよ!」という思わぬ展開が生まれたりする。

生活の中に意図的に偶発性を取り入れる。自分の思考範囲の外にある出来事は、意識や能力を広げるチャンスだ。

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