「書かずにはいられない自分」をつくる
「物理的に書ける環境」に身を置くことよりも、「書きたいことが溢れてくる環境」に身を置いた方がいい。それは必ずしも、自由度の高い環境やノンストレスな環境とは限らない。むしろ逆かもしれない。
この数ヶ月間、ぼくは「物理的に書ける環境」を求めて、ほとんど予定を入れず、コンサルの予定が入らない限りは自由に時間を使えるようにしていた。しかし、それはテーブルと椅子とパソコンだけ置かれた部屋に閉じ込められて、「お金も時間も無限にありますから、心配はありません。さあここで好きなだけ文章を書いてください」と言われているような感覚だった。既に持っている経験をこねくり回すことしかできないそんな環境では、ネタはすぐに枯渇してしまうだろう。
人によるのかもしれないが、ぼくが創作をするためには、適度な忙しさや日常が必要なのかもしれない。少なくとも、そこには新しいネタがある。会社員時代、ストレスは書くうえでの大きなエネルギーになっていた。仕事は忙しかったし、イライラすることもあった。その溜まった不満やエネルギーを、夜あるいは土日に、ぼくは文章にぶつけていた。「どうしてこうなんだろう?」と日本社会の働き方について疑問に思うことや、「将来はこんなことがしたい」といったことまで。
だから、「書かずにはいられない自分」をつくるためには、感情を動かすことが大切で、そうなるよう環境を自ら作っていくしかない。ぼくにとっては今のところ、「いただいたお仕事をなるべく引き受けてお役に立とう」ということである。人とのコミュニケーションも生まれるし、新しい経験値にもなる。受けるかもしれないストレスも含めて、創作に必要な「日常」と捉えよう、という覚悟ができた。もちろん、やりたくないことはやらないが、興味を持てれば積極的に取り組んでいきたい。
昨日も新しいお仕事をいただいて、今朝打ち合わせをした。自分の得意分野を生かせそうで、とても楽しみだ。腹をくくって仕事を再開したら、通用することの多さ、役立てることの多さを実感できて、どんどん自信を取り戻せてきた。正直、創作だけに取り組むのは生み出せない苦しみで自信を失うことも多かった。だからバランスを大切にする。
コンサルも、ある程度やり方が確立されてくると、自分の城みたいになってしまうところがある。やっぱり城に閉じこもってばかりいてはいけない。守っているだけでは新しい成長機会が得られない。城と外を行き来する。
話は変わるが、昨日のnoteがnote公式の「今日の注目記事」に選ばれた。そのnoteで紹介した若菜晃子さんのラジオ出演時の記事を見つけて、今朝読んでいた。おもしろかったのでライターの方はぜひ読んでみてほしい。
いくつか印象的な言葉と出会えた。ぼくが書くうえで大切にしていることと似ていて、とても共感できた。
また、「自分で書くということはとてもできることじゃないと思っていたので、書き手になるとは全く思ってなかったです。こういう機会を出版社さんから頂いて。自分では「そんなの誰が読むの?」みたいな気持ちだったんです」とも話していたが、こういう背景を知ると、彼女の控えめな文体にも納得ができるというか、腑に落ちるところがある。
先日、レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』を読んだときもそうだったが、あの本が彼女の遺作であると知っているのといないのとでは、入ってくるものが全然変わってくる。本が終わりに進むにつれて、ぼくは彼女の最後の文章を簡単には終わらせたくない、ゆっくりと味わいたいという気持ちが湧いてきて、最後は涙ながらに丁寧にページをめくった。ある意味、彼女の命がそこで終わったのだ。遺作であると知らなかったら、そんな配慮はできなかっただろう。
良い本に出会ったとき、「著者はどういう背景でこれを書いたのだろうか?」と疑問を抱き、調べてみると、おもしろい発見があるかもしれない。
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