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技巧に頼らない文章を

帯広郊外で訪ねた六花亭アートヴィレッジ「中札内美術村」に、安西水丸さんの小さな作品館があった。「まさかこの地で水丸さんの作品に出くわすとは」と、不思議な縁を感じずにはいられなかった。

イラストレーターとして活躍した安西水丸さんのことは、正直詳しくは知らなかった。ただ、村上春樹さんの作品でよく挿絵を描いていたので名前を覚えていた。そして彼の絵は、実に気の抜けた感じで観る者を和ませる。

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北海道で偶然作品にふれられたのも何かの縁だと感じ、娘の安西カオリさんが父について書いたエッセイ集『ブルーインク・ストーリー』(2021年刊行)を昨日図書館で借りてきた。そして先ほど読み終えたのだが、これは収穫の書物だった。

安西水丸さんのイラストについての考え方、教育についての考え方は、文章についてもそのまま当てはまることが多く、共感するところが多かった。好きな言葉を以下に引用する。

「自分の本当に好きなものを見つけてください。見つかったら、その大切なもののために、努力しなさい。きっとそれは、君たちの心のこもった立派な仕事となるでしょう」(これは水丸さん本人の言葉ではなく、黒澤明の映画『まあだだよ』のなかで、夏目漱石門下の内田百閒が残した言葉だそう)
「それなりの技術を身につけて描写するものには、ただ自己の訓練を披露するだけで、自分自身が何も出ていないことが多い。技術を学んでいるうちにその人らしさが消えてしまうようだ」
「美術教育という概念に浸かってしまい、身体ばかりが絵の型を覚え、内面の面白さが少しも絵に出ていない。技術だけに酔っていてはどうしようもない。デッサンはある程度の訓練で上手くなるが、描く人の心が絵に表れるとは限らない」
「美術教育のいけないところは、上手いか下手かで決めてしまうところ。人間は誰でも子供の頃に良いものを持っているが、成長してさまざまな教養を身につけていく過程で、少年のひらめきのようなものを捨てて、誰かが良いと言うから良い、ということを学ぶ。絵は上手くなるけれど、子供の頃にあった持ち味が削れて、『上手い人』になっていく。描く人の持ち味が絵に出ていなくてはならないのではないか」
「絵というのは、才能のある人がいろいろと研究を重ねた末に、良い味わいの作品をつくり出すことはできるが、描いているうちにどんどん『巧み』になってしまうことが多い。一番良い状態をいつまでも保つこと、これがなかなか難しい。知識なり技術なりがついてくると、本来持っていた良さが消えてしまったり、捨ててしまったりすることさえある」
「絵は描いた人自身のことも表している。だから絵を見るだけでなく、こういう絵を描いているこの人はどういう人間なのかを見ることもした。その人しか持っていない良いところを見つけ出して伸ばしていくことを大切に考えていた。テクニックとして上手く描けたかどうかよりも、『本当にその人しか描けないものを描いたかどうか』を重視した」

「本当にその人しか描けないものを描いたかどうか」

これはライターコンサルでも大切にしている考え方だ。ぼくは常々、「自分にしか書けない文章を書きましょう」と言っている。そしてその言葉は当然、自分自身にも跳ね返ってくる。

ライターとしてある程度経験を積むと、要領良く合格点を出せるようになってくる。書き方のコツがわかってくる。でもその文章に、自分自身が投影されているだろうか。ぼくは常に自問自答しなくてはいけない。「お前にしか書けない文章を書けているか」と。仕事によっては「自分らしさ」をさほど求められない場合もある。しかしエッセイを書くのであれば、言い訳はできない。文章の「上手さ」よりも大切なものがある。

テクニックに頼らず、きちんと自分が心が動いたものを文章で表現していきたい。熱く、強く、イキイキと、そして誠実に。

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