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母との鹿児島旅行で気付いたこと

3月8日から14日までの一週間、母と鹿児島を旅行した。

もともとはぼくひとりで行き、仕事をしながら滞在を楽しもうと思っていたのだけど、母に飛行機が安かった話をすると、「いいな〜、私も行きたい」と言うので、一緒に行くことになった。

2017年にハワイへ行った以来、5年ぶりの母との旅行となった。母はもう高齢。残りの人生であと何回一緒に旅行できるかと考えると、一日一日が貴重な時間だった。もしかすると、ぼくは母の反応も内心わかっていて、「飛行機が安かった」と言ったのかもしれない。

前職でツアコンをしていたぼくだが、旅に関しては母は一段も二段も上手である。印象的だったことをいくつか。

鹿児島空港でキャリーケースを受け取り出口へ向かうと、壁に観光ポスターが貼ってあった。誰もが素通りするなか、母は立ち止まる。

「ここどこだろうね?」
「龍門司坂? 聞いたことないね」

Google Mapsで調べてみると、ちょうどこれから向かう場所の途中にあることがわかり、「寄ってみようか」ということになった。空港から車で約20分。「西郷どん」のロケ地にもなった風情ある石畳の坂の近くには、「日本の滝百選」に選ばれる「龍門滝」もあり、期せずして良い観光となった。

後日、鹿児島在住の作家、有川真由美さんから「えー!龍門司坂も行ったなんてすごい!」と驚かれた。

こういうのが旅における「母らしい行動」で、ぼくも知らず知らずのうちに受け継いでいるように感じる部分だ。

その後に訪れたのは、姶良市にある日本一の巨樹「蒲生の大クス」である。樹齢はなんと約1500年。西暦500年頃なんて、暗記した年号もほとんどないような時代。だって「大化の改新」(645年)よりも昔に何があったっけ?

旅先でわざわざ「木」を見に行く経験はほとんどないが、これもまた母のリクエストだった。事前に旅のプランを立てているとき、「巨樹に興味あり、どこかあれば見に行きたい」とLINEが飛んできた。「なんで木が見たいの?」「だってエネルギーを感じるじゃん」

(スピ系・・・!?)

しかし、「蒲生の大クス」を目の前にすると、ぼく自身ただただ感動したし、実際にエネルギーも感じた。根回り33.57mという太さ。見上げれば信じられないほど枝分かれしている。こんな立派な木は見たことがなかった。

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「たとえ1泊2日の旅だったとしても、この木を見に鹿児島まで来る価値がある」と母は喜んでいた。そして20分近く、この一本の木をあらゆる角度から眺め、写真に収め、楽しんでいた。それにしても、どうしてこんなに木が好きなんだろう?

3日目。

「鹿児島から指宿へは、電車に乗りたい」
「レンタカーはどうするの?」
「指宿まで運転してきて」

何やら、鹿児島中央駅から特急「指宿のたまて箱」という観光列車が走っているらしく、それに乗って指宿へ行きたいのだそうだ。よく調べている。母の希望を叶えることにし、ぼくは列車を追いかけるようにして海岸線を1時間ドライブし、指宿へ向かった。

4日目。枕崎から知覧へ向かう途中、広大なお茶畑に備え付けられた無数の扇風機を見て、「あれはなんだろう?」「どうして扇風機があるんだろう?」とずっと気にしていた。

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確かに、あれはなんだろう? ぼくひとりだったら、おそらく何もアクションは起こさなかっただろう。だが、母の「あれはなんだろう?」には何か執念のこもった響きがあり、ぼくは調べないといけないような気がしてきた。

あの扇風機は、正式には「防霜ファン」と呼ばれるもので、茶の新芽に霜がつかないようにするための設備だそうだ。気温が下がるとセンサーが作動し、羽根が回り出す仕組みになっている。

それを伝えると母は「なるほど」と頷きながら満足した。ぼくも勉強になった。仮にぼくがいなかったとしても、母は地元の人に聞くなり、自分で調べるなりして、疑問を解消していたことだろう。

茶畑を過ぎると、今度は知覧の街に入った。そこでは、道路脇に延々と石灯籠が並んでいた。一体何個あるんだ? という数だった。

するとまた、「これは何だろう?」と母がブツブツ言い始める。「(知覧だから)特攻隊と関係してるんじゃないかなあ」。この日は母が運転していたため、「写真!撮っといて!」とぼくに叫ぶ。「ほら、あそこに菜の花があるから、それをバックに!」という要求も。

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写真を撮り終え、改めてネットで調べると、母の言うとおり沖縄戦で亡くなった特攻隊1036人分の石灯籠だった。

その日の夜、母がFacebookに載せた日記には、「(石灯籠は)人が立っているように見えた」と書いてあり、独特の感性というか、本当にスピ系だった。見え過ぎでは・・・?

5日目。鹿児島市内のフリマでは、お面をかぶって着物を売る女性に話しかけ写真を撮っていた。

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ぼくはその様子を、カフェで原稿を書きながら窓越しに眺めていた。あとで「あのお面の人の写真撮ってたね」と聞くと、「あの人は本業がお面屋さんなんだって」という、記事であれば写真キャプションに使えそうな絶妙な情報まで引き出していた。

珍しいものを見て、面白がって調べる姿勢、人に尋ねる姿勢は今も健在。ぼくが旅を好きになったのも、小さな頃から「取材」が身近に感じられたのも、やはり母の影響なんだなあと実感した。細かなことによく気付く。そして抱いた疑問を決して無視しない。

旅行中は毎晩、写真を30〜50枚近くFacebookにアップし、併せてその日の出来事も長文で書いていた。さすがだ。

最終日の投稿には、「毎日が感動の日々」と書かれていた。同じ部屋にいるのに、本人の口からではなく、スマホの画面から伝わる感想に、ぼくは嬉しくなった。天候にも恵まれ、良い思い出ができた。

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