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書き残しておくことの大切さ

うまく言えないけれど、ふとしたときに思い出す様々な記憶がとても愛おしい。ストーリーとして完結していなくてもいい。断片的な出来事や風景の記憶でいい。アメリカのなんでもない田舎町の、地元の人が集まるカフェで食べた朝ごはんとか。おかわりのコーヒーをなみなみと注いでくれる気前の良さとか。

写真で切り取れるものもあるけど、切り取れないものもある。そういうときは、言葉で残しておくのがいい。

今からちょうど5年前の6月19日。ぼくは広大なアメリカを自転車で縦断している最中だった。

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「陽光が降り注ぐ」なんてなまやさしいものではない。灼熱の、地獄のような暑さのなかを、毎日100km前後走る。飲み水は一瞬で消えていく。しかし日本のようにどこにでもコンビニがあるわけではない。4時間走った先のガソリンスタンドまで行かないと水が買えなかったときは、流石に心が折れかけた。これはその日の日記だ。

午後はまだ、80km以上残っていた。最後のレストエリアの自動販売機で水を買ってから、目的地であるキングシティの近郊まで、4時間にわたり、Nothing at all.

コンビニもガソリンスタンドも自販も、飲み物を売っている場所はどこにもなく、それどころか日陰すらない。さらに道路の舗装状態も悪くスピードが出せず、おまけに立っていられないほどの強風が向かい風となり、まったく自転車が進まなかった。

踏んだり蹴ったりの状態で、ぼくはさすがにぐったりした。景色も変わらない。ただ灼熱の太陽を浴びながら、ほんの少しずつ進んでいく。体力は消耗する一方。2リットル以上あった飲み物も、もうすぐ尽きる。

4時間ぶりにガソリンスタンドを見たときに、天国に見えた。この時点で夜7時。町まであと10kmなのに、そのたった10kmがあまりにも遠かった。

最後の気力を振り絞り、キングシティのモーテルに到着。もう、しばらく何も考えられなかった。汗が干上がり、顔から塩が出ていた。

自分で挑んでおきながら、「いったいなんだって、こんな大変な目に遭っているんだ」と思った。今、「もう一度あのコースを走れ」と言われても気が乗らない。「知らないからできた」ことでもあった。無知は強い。

ただ、そんな過酷な日々のなかでも、美しい瞬間、人生を愛おしく感じる瞬間はたびたび訪れた。

ある日の昼、ハンバーガー屋さんで注文してテラス席で待っていると、突然隣の席のおばちゃん3人組に声をかけられた。

「あなた、お腹空いてるでしょう? これ、食べなさい。フィッシュ&チップスよ」

「え? いいんですか?」

「このお店は待ち時間が長いから、自分のが来るまで食べてなさい。あなた自転車で遠くから来たんでしょう」

「サンディエゴから来ました」

「まあ・・・!」

かれこれ1500km以上、自転車を漕いできたのだ。

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こういうコミュニケーションは、日本にいるとなかなか生まれづらい。分け与えてもらったフィッシュを食べながら、ぼくは文化の違いをしみじみと感じたのだった。そしてこのようなハッピーな気分で飲むコーラは格別にうまい。

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しかし、この宝石のような出来事も、書き残していなかったら、きっと細かなところまでは忘れてしまっていただろう。ぼくは昔の日記を読み返しているから、今こうして書くことができている。

日記を読み返すことで、励まされるものがある。自分にはこんなに素敵な出来事があったじゃないかと。こうした断片的な出来事の積み重ねが、人生の糧となり、また人生に深みをもたらすのだと思う。

人に対して良い文章を提供する意識は書き手にとって大切なことだけど、一方で、純粋に自分のために書き残しておくのもまた大切なこと。noteでも、スマホのメモ帳でも、紙の手帳でもいい。実体験と生の感情が保存された言葉には、豊かさが詰まっている。

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