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共感される文章には「必然性」が宿っている

昨日友人と、仕事や人生について思うことを話し合っていた。

ぼくはそのなかで、添乗員時代に出会ったあるお客さんの話を思い出した。

「カナダのツアーを添乗したとき、ずっとニコニコしている穏やかなおじいさんがいたんだけど、旅の最後の方になって、実はとある企業の会長さんで、ものすごい実業家の方だとわかったんだ。それで、二人きりになったときに、こんなことを話してくれた」

「俺は47のときにサラリーマンを辞めて、独立したの。事業ってさ、組み立てが全てなんだよ。組み立てって、『ストーリー』のこと。俺はこういうことがしたいんだ、というストーリーに筋が通っていて、あとは人を裏切らなければ、お金ってついてくるんだよ。お金を稼ぐことよりもさ、これがしたいんだっていう想いが大切なんだ」
「それとな、良い人に巡り会えるかどうか。なんでかって、結局人はひとりじゃ何もできないんだよ。どんなに努力しても、どんなに実力があっても、ひとりの力で大きな成功はできないし、世界は変えられないの。だから、人に応援される力が必要だし、大切なのは、人に巡り会う力。誰でもいいわけじゃなくて、まさに『その人』に出逢えるかどうかなんだよ」

この話をすると、話題は「人に応援される力」や「共感してもらうためには」というテーマになった。

ぼくは日々の発信を通して、自分の「人となり」をさらけ出している。数年ぶりの友人と会うとき、こちらは「久しぶりだね〜」と言うのだけど、相手からは「いつもSNSで見ているから全然久しぶりな感じしないよ笑」とよく言われる。それはまさに、発信の成果かもしれない。

直接会っていない期間に、どれだけ存在を、あるいは徳を、積み上げることができるか。それが、応援や共感の話ともつながってくる気がしている。

とはいえ、とにかく毎日何かしら投稿していればその人は応援されたり共感されたりするのか?

と問われると、そうではないと思う。

SNSをやっている人なら、身近にも毎日何かしら投稿をする人がいると思う。その人に対して、どう感じているか思い出してみてほしい。

「この人はいつもどうでもいい投稿ばかりだから適当でいいや」とサラッと流すこともあるだろうし、一方で「この人の投稿は有益なことが多いからちゃんと読もう」と感じるケースもあるだろう。ぼくもそうだ。投稿の頻度と、共感するかどうかはあまり関係がない。

なぜ「どうでもいい話」「自分とは関係のない話」と感じてしまうのか。ぼくは、共感を生まない文章は多くの場合、「説明不足だから」だと思っている。背景や動機が、全く書かれていない文章が多い。

たとえば、「GWは岡山へ行ってきました」という投稿を見かけたとする。

読み手からすると、「なぜ岡山なのか?」と思うのである。その理由説明があるかないかで、共感の度合いはまるで異なってくる。

「以前から倉敷に行ってみたかったので、GWは岡山へ行ってきました」

これだけでだいぶ違うが、さらに「倉敷で何をしたかったのか」の説明があれば、より共感できそうだ。

あくまで自分の方針でしかないが、ぼくは書くからには「人に共感される文章」を目指している。そして共感される文章には、ある種の「必然性」が宿っている。

「それなら和歌山でも奈良でもなく、岡山しかない」という必然性であり、「なるほど、そういう理由があるなら岡山へ行っちゃうよね」という読み手の納得感でもある。

この必然性と納得感を与えられたとき、読者は共感しやすくなる。

もうひとつ、これはあまり良くない例だが、ぼくはよく殺人事件の例え話をする。

「AさんがBさんを殺した」

これだけ読んだら、「Bさんがかわいそう」「Aはなんてひどいやつなんだ」と思うだろう。Aさんに対しては同情のしようもない。

殺人はあってはならないこと。しかし、ぼくはニュースを観ながらよくこうも思うのである。

「好きで殺人をする人なんて滅多にいないはずだ。過ちを犯してしまった彼にも、彼なりの理由があったのだろう」と。

たとえば、こう書かれていたらどうだろうか。

「AさんはBさんのために、良かれと思って親切心を働かせたのだが、Bさんは『余計なことをするな!』と怒った。それについカッとなってしまって、思わず刺してしまった」

Aさんへの共感度が、0%から10〜20%くらいに上がるかもしれない。

あるいはさらに、Aさんの人生や境遇、Bさんとの関係性、事件数日前〜当日の細かな背景や会話のやりとり、などが丁寧に描写されたら、読者はこう思うかもしれない。

「殺人は絶対にダメだけど、自分がAさんの立場だったらと思うと、カッとなってしまった気持ちも少しわかる」

「自分が同じ状況に居合わせて、彼と同じ境遇だったら、絶対にやらないとは言い切れないかもしれない」

ぼくらが小説や映画に感情移入できるのは、このような「必然性」が宿っているからだと思う。


「スタディサプリENGLISHで英語の勉強を始めました!」だけではなく、

・なぜ英語の勉強を始めようと思ったのか(こんな出来事があった)
・なぜDMM英会話やレアジョブなど他のサービスではなく、スタディサプリENGLISHを選んだのか
・実際にやってみてどうだったのか

なども書いてあげる。そういう背景説明があるだけで、「スタディサプリENGLISHで英語の勉強を始めました!」が必然性を帯びてくる。すると読者の共感度は高まり、応援されやすくなると思う。

最後にもう一度、冒頭のおじいさんの話を思い出したい。

「事業ってさ、組み立てが全てなんだよ。組み立てって、『ストーリー』のこと。俺はこういうことがしたいんだ、というストーリーに筋が通っていて・・・」

実は「必然性」を意識して背景説明を怠らなければ、おのずとストーリーにも「筋が通る」はずなのだ。

ストーリーと、応援される力。別々のことを言っているようで、両者はつながっているのかもしれない。

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