依存症との付き合い方

昨今流行りのソシャゲなど、現代には依存性の高いコンテンツが溢れている。

FGOにそれなりに金を投じ、スプラトゥーンにそれなりの時間を費やし、最近ではポケモンGOなんかも始めた自分にとっては、とてもタイムリーな書籍であった。

新しい依存症が人を操る6つのテクニックとして次の6項目が挙げられていた。

1.目標

2.フィードバック

3.進歩の実感

4.難易度のエスカレート

5.クリフハンガー

6.ソーシャル・インタラクション


FGOを例に見てみよう。

1.目標

言わずもがな、ストーリーを読み進めることである。FGOは基本的にバトルをしている時間よりストーリーを読み進めている時間のほうが長い。公式サイトでも謳われているように、500万字を超えるストーリーが展開されており、主人公たちと一緒に冒険をし人理を救う体験をすることは、フィクションの読み物コンテンツとしては超大作と言えると思う。そのフィクションの世界を楽しむことが目標となる。で終わればいいのだが、後に出てくるソーシャル・インタラクションとも関係するが、FGOをストーリーを読むためだけのゲームと考えれば何万円も課金する人は出てこない。依存性コンテンツたらしめているのは、星5サーヴァントを所持したい、自分の推しキャラを強くしたい、それらをSNSで自慢したい、あたりになると思う。目標がストーリーを読むことからSNSにアップすることになってしまったら、それは終わりの始まりである。


2.フィードバック

書籍ではFacebookやInstagramのいいね機能を例にフィードバックの甘美な誘惑を説明している。FGOでも「バズる」という形でフィードバックが得られる。実装されたばかりの高レアサーヴァントの使用動画、高難易度を低ターンでクリアする動画、低レアサーヴァントでクリアする動画、周回がお手軽に行える動画、陳宮で味方を爆散させる動画、それらの動画がTwitter上のRTやいいね数として可視化される。バズった経験はないけど、きっと動画でバズった経験をした人はその快感に「次も」となるのだろう。そういった動画でなくても、例えば星5サーヴァントを引いたとか、スキルマにしたとか、ちょっと自慢したいことをTwitterにアップすることで、称賛の声が届き、少しだけ良い気分になれる。


3.進歩の実感

ストーリー序盤は敵も味方も弱く、ひとつ物語を進めるだけで苦労するが、だんだんとバトルがおまけになってくるポイントがある。苦痛であるはずの素材集めを行い、味方サーヴァントを強くすることで、急に楽になるポイントがあるのだ。プレイヤーは「キャラを強くすればバトルが簡単になって達成感を得られる」ことを理解してしまう。依存症を「行為を行うと短期的な心理的欲求は満たされるが、長期的に見て害が大きいもの」と定義している。サーヴァントを強くして快楽を得るために必要な時間は、育成をすればするほど膨大になっていく。人生の中でFGOにかける時間をどのくらいにするかは個人次第だが、それにしても奪われる時間は大きい。


4.難易度のエスカレート

"6章のガウェインはやばい"

どこかで聞いたフレーズではないだろうか。ストーリーを進めていく上で、コンティニューせずに読み進めるということに主眼を置いた場合、6章から先は結構高い難易度設定になっていると思う。物語終盤なのだから、緊迫するシチュエーションが多く、それに伴ってノーコンティニュークリアも難しくなってくる。スムーズにストーリーを読み進めるためには育成が必要、育成するには高レアを引くための召喚(ガチャ)と時間が必要、(書籍では触れられていなかったが)サンクコストバイアスがかかって、よりのめり込むスパイラルに陥る。


5.クリフハンガー

FGOは2019年9月現在で完結していない。結末が分からない状態において、人は「クリフハンガー」によって対象への興味が過熱する。物語が完結していない=結末が分からない状態では、この膨大なストーリーがどのように決するのか分からないからこそやめられない。

話は脱線するが、犯罪における被害者の実名報道、加害者の過剰なプライバシーの侵害、無関係な人も巻き込んで行われるテレビやネットの過熱についても、このクリフハンガーが関係していると思う。大きな事件が起きて加害者も被害者も分からない状態は、まさにクリフハンガーである。人々は事件の真相をああだこうだと予想し、(自分とは関係ないところで行われている)物語が完結するのを期待している。物語が完結(実名報道やセンセーショナルな被害者報道)してしまえば、人々は急速に関心を失っていく。そんな気がしてならない。


6.ソーシャル・インタラクション

人は自分と人を比較せずにはいられない生き物である。自分が多様性に属していると認識したいと思う一方、ちょっとしたことで"特別"でありたい面倒な生き物である。

FGOのプレイ動画や召喚画像をSNSにアップロードすることは、フィードバックを期待するほか、自己顕示になる。ガチャに置いては、お金をかければ手に入れることができるというお手軽さであるから、ハマる人は大量に出てくる。しかもお金をかけて出ようが出まいが「高レアを引いた」と正の自己顕示や「こんなに金をかけたのに出ない」という負の自己顕示ができ、どっちに転んでもおいしい。



と、このような感じに、ソシャゲには人を依存させる罠がいくつも仕掛けられている。かくいう自分も依存せずに付き合えているかというと怪しい。魔王信長ピックアップで痛い目を見て若干目が覚めたきらいはあるが、いつまでこれが続くかというと怪しい。

何がこんなに過熱させていたかなと冷静に考えてみると、最初期は高レアサーヴァントを引いたときやスキルマにしたときのTwitterの反応が好意的だったからだと思う。フィードバックとソーシャル・インタラクションである。マーリンのときは実装当初から予想していた戦略、しかも自分にとって気持ちがいい戦略が取れるようになったのが気持ちよかった。○○万円かかったと冷静に考えると微妙な面持ちになるが、まあ良い買い物だった。

自分のフォロワーは聡明で、最近はTwitterの反応が何をアップしても「はいはいそうね」という感じが伝わってくる。だから必要以上に金をかける必要もないかな、という気分にさせてくれる(それに魔王信長が追い打ちをかけてくれた感じ。ありがとう魔王ノッブ!)。


現代に生きる以上、スマホやネットから完全に離脱することはできないと思うけど、それらとの付き合い方についてはきちんと考えていかなければならないと思う。ソシャゲをやるようになってから、長期的視野というものが少なくなってきているように感じる。自分の人生をどうしたいか、どうありたか、長い目で見た行動をとっていけるようにしたい。その際は書籍で述べられている「目標という呪い」に陥らない、健全な形で……。

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