一話目:伊曽沼 和白

怖い話をしよう、誰が言い出したのかも忘れたが、そんな話題で盛り上がった。

各々飲み物を手元に膝を突き合わせ部屋の明かりを少し暗くする。

外を勢いよく車が通り過ぎていく音がした。


「じゃぁ、僕から。怖い話を一つ」


一話目・伊曽沼和白:母の声


あれは僕がまだ小学生だったころの話です。

その日はテストが返ってくる日で、花丸がついたそのテスト用紙をいち早く母に見せたくて僕は駆け足で家に帰りました。当時からカギは渡されていたので重い玄関扉を開けて家に飛び込んだ僕は、ただいまと同時に母を呼びました。

すると、すぐに「おかえりなさい」と家の奥から声がします。

靴を脱ごうと足元に目をやると、そこには誰の靴も置いてませんでした。

おかしいな、母が居るのならここに母の靴があるはずなのに。そう不思議に思った僕は再び母に呼びかけました。「どこにいるの?」そうするとまた母の声が返ってきます。


「こっちよー」


二階から母の声がしました。

もしかすると上の物干しにいるのかも。合点がいった僕は靴を脱ぎ、ランドセルをおろすと階段を上りました。一段一段のぼっていく間にも母は「おかえりなさい」「こっちにいるわよ」と声をかけてきます。


「お母さん僕ね、今日テストで」


二階の廊下に足を踏み出した時、どういうわけかそこに人の気配はありませんでした。

物干しのあるベランダへ続く部屋は暗く、雨戸も開いてないだろうことがわかります。おかしいな、別の部屋の掃除でもしてるのかな。首をゆるゆると振り母の姿を探しながらどうにも胸騒ぎがするような、なんとなく居心地の悪さのようなものを感じていました。

それでも僕は母を呼びました。自分でも情けなくなるような小さな声でした。


「こっちよ」


近くで声がしました。

普段僕は入らない、仏間から声が聞こえました。よく見れば少し襖が開いています。

その隙間から青白く、細い腕が伸びてきて僕の方へ手招きをしました。

「お母さん?」と呼びかけるも、僕はそれが母ではないことを薄々感じていたんだと思います。その証拠に僕はそこから一歩も踏み出せませんでした。どうすべきか考える僕の手には手汗で少しよれよれになったテスト用紙が握られています。

なんだか泣きたい気持ちになったのを今でも覚えてます。今更遅いでしょうに、僕は息をひそめてゆっくりと後ずさりました。すぐにでも逃げ出したかったんですが、目をそらした瞬間にその腕が勢いよく仏間から這い出てくるのではと怖かったんです。

ナメクジにも劣る速度でじりじりと後退する僕、未だに手招きを続ける青白い手。その時にはそこから聞こえてくる声が母のものとまるっきり別人だということに気が付きました。

恐ろしいくらい静まり返った家の中で過ごした時間は僕にとって無限にも思えるものでしたが、それは唐突に終わりを迎えました。がちゃりと鍵の回る音がして、玄関扉の開く音、次いで外の喧騒と母の声がしました。


「ただいま。あら、もう帰ってたのね、おかえりなさい」


その声を皮切りに僕は一目散に階段を駆け下りました。母はのんきに僕の手にあるテスト用紙を見つけて「すごいね」だとか「がんばったね」なんて褒めてくれていましたが、僕はもうそれどころじゃありませんでしたから。必死に今の出来事を伝えて、父が帰ってくるまでは絶対に母も僕自身も二階に近づかないようにしました。


夜遅く帰宅した父を伴い二階の仏間を確認しましたが、当然のようにそこには何もなく。

窓ガラスをあけて誰かが侵入したのでは、とも考えましたがしっかり雨戸が閉ざされているのを確認したことでますます得体のしれないものが居たんだという気味の悪さを感じました。それ以降僕は、父か、母が帰ってくるまでは絶対に二階に上がりませんでしたし、今でも玄関に靴がないときはむやみに呼びかけないようにしています。


僕の話は以上です。ありがとうございました。

どこかで聞いたようなこわいはなし、都市伝説を創作キャラに語らせるだけのノートです。自己満。