#TRIP 福岡県宗像市大島 Day 2
清々しい朝
朝、絵に書いたような鶏の鳴き声と共に睡眠の幕があがり意識が沖の方からこの世へ戻ってきた。布団を畳んで1階へ降りる。リビングのカーテンを開けると穏やかな日差しが朝顔を照らしていた。外の天気は良さそうだ。
M子が起きてくる気配はないので普段着に着替え予定通り早朝の大島を散歩してみることに。小さなコミュニティなので私のように見知らぬものが朝徘徊しているのを見ると島民の方はどう思うのだろうと気にしていたけれど誰とも会うことはなかった。人口は約700人と少なく基幹産業が漁業ということもあり散歩していた8時台にはすでに漁から戻ってお休み中かもしれない。舞鶴あたりの浜辺を散策していると潮のベタッとまとわりつく感覚がある。大島の海はそういうベタっとがない。停泊していて漁船をみてもみなじっとしている。遠くに目をやると波が立たないよう波止場が随所に築かれていて湾内は凪いでいる。波止場が波を抑えることで空気中にベタッと感じる成分が含まれにくくなっているのだろうか。波止場にはそういう効果もあるのだろう(しらんけど)。
海沿いに歩いていくと大きな鳥居が連なる神社にたどり着いた。官弊大社宗像神社とある。官幣社には小社、中社、大社がありここはそのなかで最も社格が高い官幣大社ということになる(もちろん後で調べてわかった)。つまりそんじょそこらの神社ではないって事だ。静々と鳥居を潜って中へ進んでいく。
山門をくぐると中ではお庭の清掃が行われ、神主が朝のお務めをされているところだった。お務めが終わるまでしばし待ち神主が奥へ控えたあと本殿に参り二礼、二拍手、一礼を行った。M子の創作活動がこれからもこの島と共にありますように。
境内には鯛釣りおみくじと書かれたお魚を釣り上げられるかで運勢を占うものがあった。やってみたかったが小銭を切らしていたので次の機会にすることにした。
中津宮から歩いてさらに西へ進んでみると民家が並ぶ海岸沿いには開けた公園があり、ようやく島の方を見かけた。3人くらいのばあちゃまが仕事の休憩にだべっているという感じだった。少し距離があったので会釈だけして先に進む。
うみんぐ大島に到着。ここではマリンスポーツや魚釣りを有料で楽しむことができるそうだ。時間があったらM子とやってみたいなと思いつつ平日の朝9時なので受付の方以外客は誰もいなかった。波止場の奥の方まで歩いてみた。足元の水中にはフグやら小さな魚がたくさん泳いでいた。チヌ?のような大きな魚も悠々と泳いでいる。人も魚ものんびりしててよいなぁ。
防波堤でのんびり。一隻のフェリーがターミナルに入ってくるのを眺めたあと一旦家に引き返すことにした。まだ朝ごはんを食べていないのだ。
M子を起こしたあと作業場を覗いてみる。
20畳くらいある広い空間に所狭しと脚立が立てられその上に大きな板を置きそれを作業台にして制作をしているようだ。彼女の京都にあるスタジオでも感心していたが小道具から大道具までよく整理されている。ど素人にはまったく使い分けできないくらいたくさんの刷毛や筆があり、アクリル・油絵など大小のチューブが整然と並んでいる。
バイクでGO
朝ごはんを済ませ出発の準備が整った。M子は自前のスーパーカブに乗り私はM子の知り合いにバイクをお借りした。バイクを借りる際にもういちどPRISMをみた。朝の光を浴びるそれは本来の色彩でもって壁一面に広がっていた。
久しぶりの原付運転で島を北上する。沖ノ島遙拝所手前でバイクを降りる。
穏やかな波、澄んだ水。遠くの方は霞んでいて見通しはよくないようだ。
沖ノ島遙拝所は普段は閉鎖されていて特別な日にだけ開かれるそうだ。遙拝は聞き慣れない言葉。沖ノ島にいらっしゃる神さまを遠くから拝む場所ということなんだとか。ちなみに大島から沖ノ島まではおよそ40km離れている。
遥拝所からさらにバイクを走らせること10分ほどしたところで三叉路があり、御嶽神社、砲台跡、大島灯台への分岐となっている。まずは砲台跡に行ってみた。樹木のトンネルを抜けると牧場が視界に入る。乗馬体験ができるらしいその牧場には栗毛の馬がのほほんとした顔で柵の中を歩いていた。
牧場を抜け視界を遮るやや急な坂をこえるとコスモス畑が一面に広がり、バス停や休憩所が見えた。バイクを降りそこからの眺望を楽しむ。
広場の端には両の手を広げたような慰霊碑が建っており先のロシア戦争で亡くなった(記録ではロシア人4830人、日本人117人とある)人への哀悼の意が表されている。
コスモス畑の向こうにこんもりとした丘がありそこが砲台跡となっている。昼でも中が真っ暗な地下施設とパノラミックな覗き窓を擁する地上階があり覗き窓の向こう側に2ヶ所の砲台跡があった。塹壕の中の壁面には朽ちかけた箇所もあり戦時中の生々しい趣が感じられる。ここで100年と少し前、軍服の兵隊が指揮官と共に海上の敵国相手に命を賭して戦っていたのだ。
砲台跡のさらに向こうのほうには風車小屋がある。稼働はしていないようだが色褪せずそこに佇む様がなんともフォトジェニックだった。ムーミンの一人や二人でてきそうではないか。
砲台跡から三叉路まで引き返し、灯台のある北西方面に向かった。
この海から40km程度北の位置に沖ノ島が浮かんでいるはずだがこの日は霞んでいてみることはできなかった。
灌木の小道を進んでいき海側から灯台と一棟貸しのMINAWAという宿泊施設が見える。M子はMINAWAのオーナーさんや関係者の方々と懇意にして頂いているそうでたまたまリニューアルの外壁塗装作業中に話す機会があり、中を覗かせていただいた。
周遊ドライブを終えて夢の小夜島あたりまで戻ってきた時、M子に声をかける島民の方が。島でも有名なボトルシップを製造・販売されているそうで小さな貝殻のパーツで作り上げる作品は緻密で色鮮やか。
日も暮れてきたので早くに閉まってしまう小さなスーパーマーケットでビールを買いM子が作ってくれた鰹のタタキを肴に呑んだ。M子は饒舌になり500ml缶を飲み干すころになるとそのままソファですやすや寝てしまった。この日も良い1日となった。
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