Decade
「ああ、自分の人生は映画みたいだな」とそのステージに立った時に本気で思った。
今回で10周年の節目を迎えるフリースタイルフットボールのW杯ともいうべき「Red Bull Street Style」(RBSS)。昨年11月に記念すべき2018年世界大会に行きました。開催地はポーランド。
RBSSは全てのフリースタイラーにとっての夢の舞台でありますが、私にとっても特別です。特に10年前の2008年に初開催されたRBSSは何百回も思い返します。2006年に初めて出場した世界大会MOTG(オランダ)で予選落ちしてから悔しい思いをして、生活をそれまで以上にフリースタイルフットボール中心に考えて、結果を残すために2年間努力した後に行われたこの大会。MOTGの参加人数は18人だったのに対して、RBSSはこの時43ヵ国から1人ずつ。レベルももちろん高かったです。
そんな中で、準優勝できたこの大会は自分の人生で、一番楽しくて一番悔しかった出来事です。
↓こちらが2008年の決勝戦。
そんな夢の舞台RBSSの10th aniv.なのでポーランドに行く前からワクワクでした。
大会3ヶ月くらい前には予選のジャッジの依頼もあり、錚々たる審査員の中に私も名を連ねさせて頂き、大会中の自分の役割は「日本代表選手のアテンド、サポート」「アジア連盟、日本連盟の理事として大会オーガナイズの勉強、世界のシーンの状況把握」「グループ予選のジャッジ」と、なかなか現地では忙しくなりそうな感じでした。
さて、現地のポーランドについてからはまさにお祭り騒ぎです。
ポーランドの首都ワルシャワに世界中から集まった代表選手が約50人、そして観戦に訪れたヨーロッパを中心にこれまた世界中のフリースタイラー。まだまだマイナーなこの競技では、何十人単位で競技者が集まることは少なく、それだけでテンションはめちゃ上がります。三度の飯よりボールが好きな、自分と同じ種類の情熱を持つ仲間たちがこんなにたくさんいるなんて。
滞在中の各国代表選手の様子は、優勝を狙える実力を持つフリースタイラー達は場数も踏んでいるので落ち着いて虎視眈々とコンディションを整えていたり、はたまた初めて世界大会に出る選手は目を爛々と輝かせてひたすらにこの貴重な経験を楽しんでいたり、様々なスタンスです。
この雰囲気は10年前から今まで全く変わりませんが、大きく変わった点があります。10年前の大会ではオーガナイズサイドにフリースタイルフットボールに深く関わっている人間はほとんど居ませんでしたが、現在は多くの元フリースタイラーが大会運営に深く関わっています。その多くが最前線で活躍していた、いわば私の戦友・盟友たちです。彼らが引退してイベントチームの一員となり自分が出場していた大会を作る側に回っている。フリースタイルフットボールシーンの歴史と成長を感じることができて非常に感慨深いです。
さあ、私がポーランドに着いてホテルにチェックインすると、待ち構えていたのが大会運営の首脳陣、かつての戦友たちでした。なんだ、なんだ、と思っていたら「陽介、頼みがある。蹴れる靴と服、ちゃんと持ってきているか?」と。
「もちろん」と答えると「決勝トーナメントでセレモニーに出演してほしい。」と全く予期せぬ出演依頼でした。
大会中、世界中の強者がその日のために温めてきた本気の技をずーっと見ている観客に、自分がついでにやるような演技など見せてもしょうがないと思ったので私は一度断りました。
「俺がやれることなんて何もないよ。」
「いやいや、陽介しかできない役割があるんだよ。実はSeanからはもうOKをもらっていて」
「ん?Sean?どういうこと?」
「実はかくかくしかじかで・・・」
こうして、私の人生で一番楽しくて一番悔しかった2008年世界大会決勝の再現、「Sean対横田陽介」のメモリアルマッチがマッチメイクされる運びとなりました。
もともと実施される予定のなかったプログラムだったということもあり、リハーサルは他のプログラムより念入りに行われました。その時のSeanとの会話内容は、「エキシビジョンだけど、バチバチやろうぜ」と「大会本編より俺らが盛り上げちゃおうぜ」とか。
楽しもうぜ!そんで、盛り上げた方が勝ちだからな!という、バトルの相手であると同時にエンタメするパートナーというスタンスがお互いに10年前と少しも変わらず嬉しかったです。
ステージに立つ直前までは、Seanと私は少し離れたスペースで練習をしていました。
前述したように、世界中の猛者たちの技に見劣りしないパフォーマンスをしなくてはならないし、4、5年ほどバトルに出ていない私やSeanにとって、生活のほとんどをバトルの練習に費やしている出場選手の技の難易度や精度は本当にプレッシャーでした。
ここ数年で一番緊張しながらの数十分間のウォーミングアップののちに、やっとスタッフに呼ばれてステージに立つと、そこには本当に夢のような光景が広がっていました。
観客は約2000人。普段からパフォーマンス活動をしているのでその数自体は決して珍しいことではありません。でも、いつもと違うのは観客の全員がフリースタイルフットボールを目的に会場に訪れていること。特にステージの周りはヨーロッパ中、いや世界中から集まったフリースタイラーやそのファンだらけ。
更に、ステージ周りだけでなく見守っている選手やジャッジたちの中には、まさしく2008年決勝をきっかけにフリースタイルフットボールを始めた人も多く、スタッフ達に至っては2008年以降それぞれの苦労もありながらシーンに関わり続けたのであろう、この10年間に想いを馳せて目に涙を浮かべている奴らまでいました。
あれほど多くの、情熱と熱気に充てられた歴史的な舞台は身震いするほどの楽しさでした。
舞台上では私とSeanはボールを使って会話以上のコミュニケーションができたし、私たちのコミュニケーションの逐一にオーディエンスが反応して。
↓こちらがそのエキシビションマッチ
少し専門的な事を言うと、今回のエキシビジョンバトルの構図は
常にオリジナルで自分のスタイルを十年間主張し続けたSean
VS
オリジナルでスタイルを持ちつつもトレンドを少しずつ十年間取り入れ続けた横田陽介
また、Seanの服やボールはUrbanBallで対する私の服とボールはBall Beatという、10年前にはアディダスのボールで勝負していた二人が十年経ってお互いが自身で始めたブランドを身に纏って再び対決するというのは中々にヒストリカルでした。
リハーサル通り、このバトルの決着は付けずに両者が勝利で終わりました。この、「勝者はあなた達ひとりひとりの心の中に」というのも100%「競技」ではないこのカルチャーの本質ではないかなと思います。大会ではそうしなくてはならないので、審査員がいて決着をつけますが本来は「口喧嘩」と同じようなスタンスで、自分が勝ったと思ったら勝ちだし、負けだと思ったら負け、観てる方も「俺はあいつが勝ちだと思うな」って感じのあやふやな所がダンスやラップに代表されるストリートカルチャーのバトルの魅力の一つだと私自身は思っています。
さて、そんな私の主観では、「7:3で俺の勝ちかな!」と思ったわけですが(笑)、Seanに「うわ、やられた!」と思った局面もあったわけで、動画で見る方々も各々で好きな方を勝者と認めておいてください。私自身のパフォーマンスも及第点ではありますが、決して満足できるわけではありませんでした。これはフットボールの神様が夢の舞台に立った私に、「満足するのはまだ早い。あなたはまだまだできる子だよ、もっと頑張りなさい」と10年前から変わらぬセリフを、また言ってくれているのだと思っています。
私が初めて世界大会に出たときは全く英語が喋れませんでした。それでもフットボールという共通言語でコミュニケーションを取り、そうしているうちに言葉もそれなりに上達して、今では世界中の仲間たちと幸せを共有しています。
そんな仲間たちがよく言葉にするのは、フリースタイルフットボールが全てを与えてくれるということ。全くもって同感で、プロサッカー選手になりたかったけれどなれなかった自分に、日の丸を背負ってボールを蹴って、今はアジア、世界のフリースタイルフットボールシーンを背負って日々の活動をしています。
そんな素晴らしい経験をさせてもらうこと、できることに感謝と自信を持ってこの先何年も何十年もボールを蹴り続けようと思います。
ちなみに試合後、Seanとは「また10年後にバトルしようぜ」と約束しました。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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