守る事。攻める事。

昨日会った人物に弊社TYK Promotionのビジョンや活動へ賛辞をいただいた。

…嬉しかった…が、まだ何も成し遂げていない自分たちを改めて痛感し、自分を諫めた瞬間でもあった。

我々には過去・歴史がない。
だから未来を作るしかない。

歴史がある組織はその歴史に囚われ、変革や時代の流れにおいていかれる。

それはなぜか?

大きくなればなるほど『守るべきものが多くなるから』だ。

守るべきものを守る事と守勢に回ることは違う。
だが、それを区別し、全うする事はとても難儀な事だと思う。

『守るために攻める。』

守るものが出来た時、その選択が果たして出来るのか?

人生にもたくさんそういった選択の時がある。

自分ごとを話すとしよう。
たぶん初めて公に晒す事でもある。

30歳の時、自分は一度結婚している。
が、34歳で離婚した。

元妻は、すごく愛のある人物で一途に自分を愛してくれたし、愛されることを求める女性だった。
夫婦であれば当然の話だ。

だが、自分はどこまでいっても「仕事が一番」だった。さらに言うと、公私をうまく両立できるほど器用な男ではなかった。

『あぁ、おれは生来の身勝手、無責任なオトコなんだ』

と心の底から思った。なんなら今も思っている。

だからそれ以来「結婚する権利がない」と今も変わらず思っている。

これにより「離婚」という至極当然の結果を迎えたわけだが、事実上これで自分は独り身となり、親も早くに亡くしていて、いるのは未成年の間、育ててくれた我がゴットマザーのばあちゃんだけだ。

ここまできたら子孫も残してないし、お金も今更残してもしょうがない。
なら、人生に賭けられるもの全部賭けて、やりたい事に全部注いで、自分のDNAが残らないなら、自分の意志を残してやる。痕跡を世の中に残してやるぞ!…そう心が叫び始めた。

その心の炎は瞬く間に大きく激しくなり、自分を突き動かした。
それも「タレント」としてではなく、「事業者」になる為に。

タレントはどこまでいっても消費される商品だ。

川で言う『下流』。

だから『源流』に向かう事にした。

それがIP=コンテンツ事業だった。

アニメビジネス、タレント事務所運営、新規事業企画制作など・・・いわゆる『コンテンツプロデュース事業』を主とした企業として生まれ変わる事を目指した。

ナゴヤには『コンテンツ産業』自体が非常に少ない。
日本第3の規模を誇る地域とは思えないくらいに少なすぎる。
大きな理由の一つは東京コンテンツを借りてきてしまっているからだ。
ドメスティックなものが本当に少ないのだ。

だからほぼゼロイチの動きとなった。

高卒の自分だが、
会社を法人化し、銀行と取引を始め、「経営」というものを始めたのだ。

でも、自分には性に合っていた。

どこかに属するのが窮屈に感じる性格であり、天邪鬼な性格もある為、人と違うことをやりたいし、考えたくなる自分からすれば、ゼロから始めるのは38歳と遅いスタートではあったが、すごく人生を謳歌し始めたのだ。

もしあの時、元妻とちゃんと向き合い小どもを授かり、生きていく…そんな人生もあっただろう。
だが、自分は選べなかった。そして無責任な自分を知った。

だから、これからも僕は無責任に生きようと思う。やりたい事を目一杯やる、悔いのない人生を全うしようと思う。

守る人生はあの時選ばなかった、選べなかったんだから、守るという選択は今の僕には相応しくないし、求めてもいない。
もし、結婚や子供を持つ事が人生のトッププライオリティになったら躊躇なくするだろう。
だが、今の自分には到底考え及ばない。ある意味悲しいことだが…苦笑

だからなのか、守りに入っている人や企業、団体を見るとすぐわかるし、それはそれでそこには平和があり、調和があるわけだから、尊重はできるが、同調は一切できない。
逆に攻めている人に会うと、とてもワクワクするし、一つでも多く盗みたいし、一緒に何かやりたい!って思う…さらには、家族にもちゃんと向き合いつつ攻めている人を見ると尊敬中の尊敬で神々しささえ感じてしまう。『万能の神か!』と。

いずれ自分もそんな器の大きい人間に、オトコになりたいと思う…が、その気配は一向に訪れてこないみたいだ。

とはいいながらも、自分にも守るべき存在はいる。
マネージャー、所属タレント、スタジオ生たちだ。

特にウチのチーフマネージャーは母子家庭の二児の母だ。
本人の子供たちに加え、駄々をこねる40人近くの子供たちの面倒を一身に背負い、見ている。
計り知れない胆力と体力を要する。
そして子供の分も含めて生活費も稼がなきゃいけない。毎日悪戦苦闘している。
ほんと自己犠牲の塊のような女性だ。
尊敬する。といいながらも普段は僕の身勝手に振り回してまくっているわけだが。

次に所属タレントたちやスタジオ生たち。
こんな実績ゼロの事務所を選び飛び込んできた無謀な可愛いヤツらだ。
自分のビジョンや想いに賛同しついてきてくれているんだから、なんとかしたいに決まっている。
ただ彼らには、「オレは無責任だ。だから無責任にオレの思ったことを全てお前たちに伝える。だからそんなオレの言うことに準ずるも、反するも、自分で決めろ。お前たちの人生の尻拭いをするのは自分しかいないと思え。」と伝えている。
向き合ってくれている間は自分のことをそっちのけで彼らの事ばかりを全力で案じている。

となると「無責任を自負する自分」にも責任が自ずとのしかかっているんだと気づく。

だからなのかふとした時…
「あ、今の考え守り入ってた。」
と思ったり…

「あ、この人の話ここで聞いてなかったら、守りに傾いている自分に気づけなかったわ」
…なんて事が多々ある。

その度に自分を諫め、我に戻るわけだが、
それくらい「守り」って入りやすいんだなと痛感する。

今の名古屋のエンタメは大先輩たちが作り上げてくれた市場であり、我々はそこに息づいているわけだが、歴史はあくまで先人が作ったものだし、先人が作ったフレームワークが全てでもない。

今は今のフレームワークがあるはずだ。

『これから』を生きる我々にとっては、そんな新たなフレームワークであり、バトルフィールドを『探し、作ること』は必須なのだ。

時代も流れ、すべてのあり方が激動する昨今。
作ることをせず生きていけるはずもない。

ある一部の本では現代を第三次産業革命と銘打つほど、ITがスタンダードのなってきているこの時代は、10〜15年前までとは違うのだ。

…だか守っててはダメなのだ。攻めなければいけないのだ。

…と、自分に仲間に僕は伝え続けようと思う。

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